あるサラリーマンの物語

第7章「願い」

1999年の夏、ぼくは仕事で栃木に向かって車を走らせていた。
深夜の渋滞。濃霧による速度規制。
突然のアクシデント。

すべてはここから始まった。

ぼくは今、60年後の世界にいる。
三浦半島の先端に近い高台で、修理工場をやっている。
町の人たちからも頼りにされる、充実した日々。

今のぼくには、ここが一番居心地がいい。
気ままな一人暮らし。
修理の仕事を時々こなしていれば、食べていくのに困ることはない。
週の半分も働けば、じゅうぶん暮らしていける。

この世界に来て半年ほどした頃、ぼくは自分の生まれ故郷を訪ねてみた。
ここから360kmほど西に行ったところにある、大きな街だ。
まる1日走りっぱなしで行って来たが、街はみんな海の底に沈んでいた。
ガラスの尖塔と高速道路、小高い丘と高層ビル以外は、ただ青く澄みわたる海。
多くの友人を一瞬で失ったような、寂しさや悲しさをはるかに越えた気分になった。

昔の親友にも会えるかもしれない、
そう思って行ってみたのだが、ぼくの記憶にあった家や町並みは、すべて消えていた。
もうここには、ぼくの帰る場所はなかった。

世界は、ぼくのいた時代と比べて大きく変わった。
海面上昇と、群発地震。
地盤はうねり、街は沈んだ。
政府中枢はいち早くコロニーに脱出したため国家システムは崩壊し、実質上の無政府状態に。
多くの人々は、秩序を求めてコロニーへ脱出。

今ここでは、わずかに残った人たちだけが自然と共に暮らしている。
不思議なことに、人が少なくなってきたら治安もよくなり、臨時の政府のようなものも機能し始めた。

今は地球にとっても、人間にとっても、「凪」の時代。
人間に破壊し尽くされた自然が癒されるまでの、つかのまの休息。

ゆったりとした時間の流れの中の、地球とそこにすむすべての生き物たちの、つかの間の休息。

この世界で、これからずっと暮らしていけるなら、それでもいい。
お祭り騒ぎのような時の流れについていけず、いつも疲れていたけれど、
今はこの時代にいるおかげで、自分を取り戻しつつある。


1.メモ

『みずさんへ、このメモを見たらできるだけすぐに来てください。 子海石』
子海石先生の残したメモ。
「できるだけすぐに」とは、先生流の遠慮が入った緊急を意味する。
いいニュースか、悪いニュースか・・・

「緊急でしょ?考えるまでもないよ」

名古屋から戻ってきた翌朝、ぼくは日の出より早く起きて、
先生が起きているであろう時間をねらって、久里浜にある先生の病院に向かうことにした。

悪いニュースか・・・
だとすると、たぶんレベル4スキャンの結果、何かがわかったんだろう。

それとも、元の世界に戻る方法がわかったんだろうか?

ちがうな。
それで緊急というのは不自然だ。

もっと何か重要なことがわかったんだろうか?

それともぼくの思い違いで、単に緊急の修理の依頼とか・・・
だとすると、いつ帰ってくるかわからないぼくにメモだけで伝言なんておかしい。

予測不可能。

ま、行けばわかるさ・・・




2.忠告

最近やっと日の出の時間が早くなってきた。
日差しだけは暖かくなってきたけど、まだまだ春は遠い。
冬の空は雲が高いので気持ちがいいのだが、早朝の寒さだけはつらい。
先月取り付けたガスヒータは、今朝もフル稼動だ。

朝ごはんを食べる前から、車は外に出して暖機しておいたのだが、
それでもエンジンはなかなか温まらない。
走ってるうちにヒータも効いてくると思っていたが、結局あったまる前に病院に着いてしまいそうだ。



小さな集落の上を通過すると、やがて病院が見えてきた。
「おはようございます」
「あら、もう帰ってきたの?あと2、3日は帰ってこないかと思ってたのよ」
「思ったより用事が早く済んじゃったんですよ」
「でも、好都合だったわ。ちょっと緊急だったから」

「ひょっとして、レベル4スキャンの結果が出たとか?」
「ええ、コロニーに居るわたしの知り合いの人にも頼んで解析してもらったのよ。
そしてその過程で、あなたがとんでもない人物だということもわかってしまったわ」

「え?」
「レプリケータの先駆者。アルピナという希有なドイツ車に乗り、趣味はバイオリン演奏・・・
もっと早く気付くべきだったわ。そしてコロニー移住計画は、レプリケータがなければ実現できなかった」

「どういうことですか?」
「わずか2、30年の間に、全人口の70%をコロニーやステーションに移住させようとしたら、
コロニーの建設やシャトルの製造に、どれだけかかってたかしら?レプリケータの実用化で、
移住計画は予想より30年も早く完了したのよ」

「・・・いつ頃、気付いたんですか?」
「神の子の生まれた日、かしら?・・・あの曲を聴いた時に確信したわ」

「じゃ、先生はぼくが通信研究所にいた頃を知ってるんですか?」
「ええ、コロニーに行ってしまうまでの3年間、当時のあなたは毎週ここに治療に来てたのよ。
そして最後の日は、わたしも厚木空港まで見送りに行ったわ」

「そうだったんですか・・・で、ぼくがこの世界に来た原因は何だったんですか? つまり、あの霧の正体は?」
「極性イオンの渦らしいわ。でもそれだけならタイムスリップは起こらないのよ。
たぶん、渦の持つエネルギーが大きすぎたので、空間に亀裂を作ってしまったのね」

「はぁ・・・それで、緊急の用事って何ですか?これだけのことで『できるだけすぐに』という
書き置きにはならないと思うんですけど・・・」
「さすがに勘がいいわね。そう、急いであなたに伝えなければならないことがあったのよ」

「それは、ぼくの今後にかかわることですか?」
「関係あるといえばあるわ。・・・いい?通研にあるレプリケータはむやみに使っちゃだめよ。
レプリケータの分子再構成時に、再構築中の分子が違う時代から来たあなたの素粒子と干渉して、
空間にひずみを作ってしまう可能性があるの」

「ええっ?それ、どういうことなんですか??」
「んーつまり、あなたとあなたがこの世界に持ち込んだ物は、今の時代と素粒子レベルでは
アンマッチ・・・周期がずれてるの。だから、その近くで分子再構築のようなことをやると、
空間にひずみや亀裂が生じやすくなるのよ。すごく危険だわ。空間のひずみに引っかかると、
何が起こるかわからないの。核爆発並みのエネルギーが発生する可能性もあるのよ」
「そ、そうなんですか・・・・」

たしか去年の秋頃、レプリケータを動かしたらすごい白煙とオゾン臭で、死ぬかと思ったよな・・・
核爆並みのエネルギーだって?
じゃ、あれはまだマシな方だったんだ・・・

「何か心当たりがあるようね」
「え?・・・そうなんですよ。そんな話知らなかったんで、この前レプリケータを起動させたんですけど、
周囲の酸素がことごとくオゾンになっちゃって、死ぬかと思いましたよ」

「でもそれだけで済んだのね」
「今の話を聞くとぞっとしますよ〜。でも、レプリケータが動いてる時に、そばに居なきゃいいんですよね?」
「ま、そうね。少なくともレプリケータを密閉しておけば大丈夫のはずよ」

そうか、それならレプリケータは使えるな。

「さっき、レプリケータを至近距離で起動したって言ったわよね?」
「ええ」

「つまり、研究室に入ったのね」
「はい。社員証を持ってたんで・・・」
「そうなの・・・。中は、どうだったの?機材は?」

「たぶん全部そのまま残ってます。ぼくが入るまでは誰も来てないようでしたよ。コンピュータがそう言ってました」
「じゃ、レプリケータはまだ動かせるのね」

「ええ、大丈夫だと思います。でも発電所の能力が・・・」
「ああ、それはわたしが話をしておいたわ。ちょっと確認したいことがあるのよ」

「レプリケータを起動するんですか?」
「ええ、近くにあなたが持ってきたものを置いて試してみるわ。カードでも鍵でも何でもいいわ。小さな物で」

「で、状況を記録するんですね」
「そう。素粒子の運動量と極性イオンの活性を測定すれば、たぶんいろいろとわかるはずよ」
「なるほど・・・」



「じゃ、測定器を積んで通信研究所に向かいましょう」
「はい!」


3.検証(1)

・・・ぴっ
「こんにちは、水谷博士。最終アクセス日は・・・・」

「さ、こちらです」
「こんなところに研究室があったのね・・・、わたしは地下2階までしかないと思ってたわ」
「ぼくも最初はわかりませんでしたよ。偶然コンピュータがしゃべったんで、それでわかったんです」

「あれがそうね。じゃ、カメラと計測器をセットして、レプリケータを起動しましょう」
すぐに装置を立ち上げる。起動にはそんなに時間はかからなかった。
UNIX系のコマンドを使う、音声入力もできるタイプのOSだ。

「何を作らせますか?」

「何でもいいわよ。4kg以内のものがいいわね」
そのままCADソフトを起動。
ソリッドデータをロード。
「そうですね・・・じゃ、これにします」

「あら、それバンパーでしょう?」
「ええ、実は・・・縁石に当てて割っちゃいましてね。・・・大きさはぎりぎりだと思うんですが」

「いいんじゃないかしら?・・・じゃ、そのあたりにカードを置いて、カメラはそのあたりを狙ってセットしましょうか?」
「はい、・・・えーと、こんな感じですか?」
「そう、それでいいわ。あと、このセンサをこの図の通りの位置に付けましょう」

「えーっと、これでいいですかね?」
「ええ、・・・じゃ、5分後にレプリケータが自動起動するようにプログラムできるかしら?」

「はい、・・・ちょっとかかりますけど」
「かまわないわ。ゆっくりやりましょう」

10分後、プログラムの試走が完了。エラーなし。
すべて、準備完了。

「先生、準備完了です」
「じゃ、起動しましょう」

「コンピュータ、プログラム開始!」
「レプリケータの自動起動シークエンス、実行します・・・レプリケータ起動まであと5分」

「さあ、外に出て測定を始めましょうか?」


4.検証(2)



車に積んだ測定器で、センサの値をチェックする。
全センサは、正常に作動している。
非常時に備え、ラップトップのワークステーションを持ってきておいた。
ここからレプリケータを制御する必要があるかもしれないからだ。

「そろそろかしら?」
「あと10秒でレプリケータが作動します」

10秒後
「来ました。・・・やはり、極性イオンが大量に発生しています。わ、やばいですよ。空気が帯電してます!!
現在50kVです。セキュリティエリアの酸素量が急激に低下、活性化した極性イオンが渦を作り始めています!」

「大きすぎるわね・・・」
「え?」
「渦の大きさが予想より大きすぎるのよ。きっとイオンが残留してたのね」
「あ、以前ぼくが起動した時のやつですかね」
「たぶんそうね、・・・あら、イオン量がセンサの測定レンジを越えちゃったわ。装置、止められる?」
「はい、緊急の手段で止めますか?」
「そのほうがよさそうね」
「了解しました」

ぱちぱちぱち・・・

ぼくは急いでコマンドを打ち込んだ。
「急いだ方がいいわ。セキュリティエリアの中で雷が発生する前に止めましょう。レプリケータが使えなくなるわよ」
「コマンド入力完了。5秒で完全停止します」
やがて建物の奥のほうから、どごん!ずずず・・・という音がきこえ、ほぼ同時に白い煙が排気塔から昇ってきた。

「なんとか間に合ったようね」
「そうですね」

排気塔からの煙が消えた頃を見計らって、先生とぼくはレプリケータの様子を見に行った。



妙に湿気が多い。
気温が低いので、蒸し暑いというわけではないが、冷蔵庫の中にいるようなひんやりしっとりとした感じだ。
レプリケータを見てみる。

バンパーがない。
レプリケータの作動時間から考えても、半分は作られているはずなのに。

そのかわり、奥の薄暗い場所に、見慣れない柱状のものが立てかけてある。
「あれ、何かしら?」
「さあ・・何ですかね?近づいても大丈夫なら、見てきますよ」
「特に危険はなさそうよ」
「じゃ、ちょっと見てきます」

ぼくは近くに行ってみた。
「でっかいコンクリート製の柱ですよ!建物の基礎に打ち込むやつです」

あ、床がざらざらしてる・・・
「先生、足元に土がありますよ。この柱についてる土と同じみたいですよ」
「今明かりを増やすわ」
「おねがいします」


5.渦

ぱっ

部屋の明かりがすべて点いた。
さっきの柱が、よりはっきりと見えるようになった。

四角いコンクリートの柱。型枠のあとがしっかり残っている。鉄筋の入った、よく見るタイプの柱だ。

「間違いないです。これ、基礎の柱ですよ。それにこの切り口、どうやったらこんなにきれいに切れるんでしょうね?」
「それ、切れたんじゃないと思うわ。はぎとられたのよ」

「はぎとられた、って・・・?」
「おそらく極性イオンの渦が空間のひずみを作り出して、別の空間からこの柱を持ってきてしまったのよ。
周りにある土も、一緒に来たんじゃないかしら」

「作りかけのバンパーはどこに行ったんでしょうね?」
「たぶん作られる前に空間に穴が空いて、この柱と引き換えに向こうに行ってしまったか、もっと別の空間に飛んでったかね」

「じゃ、この柱は別空間の通研のやつですかね?」
「たぶんそうね」

「すると、ぼくがこの世界に来た原因って・・・」
「別の空間にいるだれかが高速道路上で極性イオンの渦を発生させたか、それとも偶然の自然現象かはわからないけど、
極性イオンの渦に巻き込まれたのが原因と見て間違いなさそうね」

「よく車ごと抜けられたなぁ・・・この柱みたいにスッパリ切られてたら死んでましたよね」
「そうね、運がよかったのよ。いろんな意味でね」
「え?」
「だって、あなたがこの時代に来られたのは完全に偶然よ」
「あ、そうですね・・・ってことは、ぼくが来た60年前の世界の軸は、この世界の軸とは違うもの、
えーとつまり、パラレルな世界の可能性もあるってことですか?」
「わからないわ。でも、否定もできないわ。つまり、今後この方法で時空が制御できたとしても、あなたが
完全にもとの世界に戻れるという保証はどこにもないのよ。たとえ素粒子の周期が一致してもね」

「なら、やっぱりこのままでいいです。帰る気はないですから」
「そこで問題になるのが、渦の発生なのよ。あなたの素粒子周期が他とずれてるから、極性イオンが発生した場合、
あなたやあの車を中心に渦が発生する可能性があるの」
「はい」うん、それはわかる。いやまてよ、それってつまり・・・

「あの、それひょっとして、今後ぼくがある日突然別の空間に飛ばされる可能性があるってことですか?
先生が言ってた緊急の用件って、つまりそういうことなんですね?」
「そういうことなの。あなたがこの世界をどんなに気に入っていても、いずれまたどこかの世界に
飛んでいってしまうことになるかもしれないのよ」

「何とかならないんですか?」
「ある値以上の極性イオンの渦に巻き込まれなければ心配ないわ。さっきのデータから予測すると、
1立米あたり5000個以上の極性イオンに囲まれないかぎり渦は発生しないみたいね。
自然発生する量とは2桁以上違うから、外にいる間は大丈夫よ」

「それって普段でもわかるんですか?」
「今のところあれだけ大掛かりなセンサをいくつも設置しないと無理ね。
でも、セキュリティエリア以外では危険量に出会うことはまずないと思うわよ」

「でも、ぼくは1999年に高速道路上でそのイオン渦に出くわしてるんですよ」
「それが不可解なのよね。今の技術でもそんな場所で人工的にイオン渦なんか作れないし。
とにかくあまり深刻にはならないで。ただ、可能性だけはいつも頭に置いといてちょうだい」

「わかりました」
「じゃ、機材を片付けて撤収しましょうか?」
「はい」


6.午後



ガレージに帰って、簡単な昼食をとった。
留守中の伝言は・・・うん、ないみたいだ。
今日もヒマな日になりそうだな・・・・

昼過ぎになると、外にいても暖かい。
いつものように、ティーポットとカップを持って、テラスに出る。
屋根裏から古い雑誌を持ってきて、ぱらぱらとあてもなく目を通す。

頭の中はうわのそら。雑誌の内容なんか全然頭に入ってない。
さっきの通研での先生の言葉がいつまでも頭から離れない。

いつの日か、ここを去らなければならない時が来る。
しかもそれは、今すぐかもしれないし、ずっと先かもしれない。
すべては偶然の積み重ね。ぼくにそれを知る手段は、今のところない。

今この瞬間にも、どこへ行くのかわからない。

ただ、先生の説によれば、素粒子の周期が同じ世界にたどり着ければ、それ以上イオン渦に
巻き込まれても別空間に飛ばされる心配はないのだそうだ。

じゃ、最初のは何だったのか、というと、それだけはわからないそうだ。
ただ、人工的な渦の可能性がきわめて高いらしい。
車一台を丸ごと飲み込む大きさの渦は、自然に発生するとは思えないとか。
しかもかなり高度な技術がないとできないらしい。
「別の時代の人が、何か実験でもしてたのかもしれないわね。そして実験は失敗したのかも」
そうなのかもしれないが、まさかその影響がこっちにも出てるなんて、たぶんわからないだろうな・・・

「元の世界に戻れれば、もうこんな事にもならないんだろうけど、でもねぇ・・・」
そう、ぼくは戻りたくないのだ。
ここから別の世界に行かなくてすむ方法を考えなくてはならない。
でも、どうやって?

わからなかった。

どんなに考えようとしても、ここからどこへも行きたくないという気持ちだけが頭の中を駆け回って、
思考がすすまない。

無理だ。
今のぼくには、考えられるだけの心理的な余裕がない。

ここでじっとしてるのがもったいない。
今この瞬間にも、ここから去らなければならなくなるかも・・・
そう考えると、もっといろんなところを見ておきたくなった。

「CLOSED」



気付いたら、あてもなく車を走らせていた。

目的地は、地平線と雲が見える場所。


7.雲と夕日と

ガレージのシャッターを閉めるのも、ポットとカップをしまうのも忘れ、ぼくは車を走らせていた。

「ま、いいっか・・・」
雨が降りそうな天気でもないし、取られて困るものも特にない。

半島の先にある滑走路。
ここがぼくのお気に入りの場所。



車を降りて、折りたたみの椅子を出す。
だーっと横になると、広がる地平線。
視界いっぱいに広がる青く高い空に、ゆったりと流れる雲。

ぼくは一生忘れない。
ここに住み始めてからの日々を・・・
何があっても、絶対に忘れない。
ぼくがいちばん、ぼくらしく生きているこの日々を。

先生
おじさん
アルファさん
ココネさん
タカヒロ
そして、町の人たち

このままずっと、みんなと一緒にここで暮らしていけるといいな・・・

それが、ぼくの希望。

だんだんと、日が傾いてきた。
「そうだ。あそこに行ってみよう」

大きく伸びをして、椅子をたたむ。
目指すは、北の大崩れ。


8.黄昏



寄せてはかえす、波の音。
昔は観光客が少しは居たらしいが、今は誰もいないただの海岸。
海にせり出した岩が崩れ落ちたように見えることから、いつのまにか「北の大崩れ」と呼ばれるようになったらしい。

柵に寄りかかって、夕暮れを待つ。

太陽が、水平線の彼方に去って行く。
さようなら、今日の太陽。

赤く焼けた雲が、去りゆく太陽を見送る。
江ノ島に、ぽっと明かりがともった。
まもなく日が完全に沈む。



「うわー・・・・」
空が一瞬、藤色になった。
何度もここを訪れたけど、こんなにきれいな空は、はじめて見る。

でも、すぐに真っ暗になってしまった。
本当に一瞬だった。

でもまるで、ステキな贈り物をもらったときのような、幸せな気分になった。

もう、この土地を離れられないな・・・
こんなにいいところ、他にないよ。

イオン渦にさえ遭わなければ、ぼくはここでずっと暮らしていける。
この時代のぼくはコロニーに行ってしまってるから、タイムパラドックスの問題もない。

先生が黙っててくれれば、ぼくの正体はばれないと思う。
このまま修理屋のみずさんで通していこう。

先生も、反対はしないだろう。



町を抜け、すっかり暗くなった夜道を、点在する街灯を頼りにトコトコと走る。
アル坊のスロー走行も、だんだんサマになってきた。

オイラはカリカリ飛ばすだけの車じゃないよ、そう言ってるのが何となくわかる。

みんなに支えられて、ぼくは今日も元気に生きている。
これからも、みんなと持ちつ持たれつ、楽しくやっていこう。

T字路を右折。
もう少しで、ぼくの家。
「あれ?明かりがついてるぞ・・・誰か来てるのかな?」

出かける時に電気だけは消してきた。
誰かがガレージに居るみたいだ。

「お客さんかな〜・・・待たせちゃったか?」

電気自動車が止まっている。やはりお客らしい。
「いらっしゃい!すみませんね〜ちょっと出かけてたんで!かなり待ちました?・・・って、どこにもいないじゃん」

ガレージの中にも、車の中にも、誰も居ない。
「う〜ん、どこに居るんだろ?・・・ひょっとしたら母屋の方かな?寒いからそっちに居るとか・・・」

かちゃ。
ぼくは真っ暗な母屋の扉を開けた。
「おーい、お客さーん・・・ありゃ、ここに居たのね・・・」
薄暗いキッチンのダイニングテーブルに、人影がうつぶせになっている。どうやら待ちくたびれて眠ってしまったらしい。
今日の最初で最後のお客さんは、どうやらこの人のようだ。

「さて、起こすのも何だし、先に車を見ておこうかな」
ぼくはさっそく、さっきの電気自動車をガレージに入れ、ダイアグケーブルをパソコンに接続した。
まもなくパソコンが車の診断結果を出してきた。

「なんだ、ただの電池切れじゃん。このタイプなら3、4時間充電すればOKだな」
充電器をつなげば、あとは放っておけばいい。
「さあ、もう少ししたら、お客さん起こしに行ったほうがいいな。でもその前に・・・」

まずは紅茶を淹れて、ひとやすみ。


(第7章おわり)

ネタに困ったら新キャラというのは、常套手段のようで(笑)
とりあえずぼくがこの世界に来た理由について謎解きなどをしてみました。
来月は、このお客さんの正体について少々・・・
ちなみにこのキャラは原作には出てきません。あしからず。

※北の大崩れの夕景の写真は、本ページの常連さんのKAZZさんより提供していただきました。
ご協力感謝です♪

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