あるサラリーマンの物語

第4章 「通研侵入」


0.近況

ヨコハマへはじめての買い出しに行って、アルファさんにばったり会った日から、およそひと月。
あれからカフェアルファには、週に3、4日は通っている。
町の人たちも心得ていて、ぼくがガレージにいないと、カフェアルファへ修理を頼みにやってくる。

アルファさんやスタンドのおじさんと、昨日のできごとや、昔の話、あしたのことなど・・・
特別なできごとは何もないけど、いつも、どんなできごともぼくには新鮮。

朝早くから夜遅くまで忙しく働いて、疲れとためいき以外、何も得られなかった・・・
あの頃のことは、遠い遠い記憶の彼方。

小さなガレージでひとり暮らし。近所を散歩したり、テラスで本を片手に紅茶を飲んだり・・・
充実した毎日。
ため息のつきかたなんか、いつのまにか忘れてしまった。

そう、修理の仕事はけっこううまくいっている。
2日に1件くらい仕事が入るので、衣食住は心配なし。
うわさを聞いたのか、北の町からも修理の依頼がくるようになった。

はじめは自動車関係の修理だけのつもりだったが、
最近では壁のぬりかえや網戸の張り替えなども引きうける。
不健康そうな体型は、最近ちょっと締まってきた。
相変わらず「体力仕事」は苦手だけど。

最近では、「町の修理やさん」といえば、「ガレージ355のみずさん」と評判だ。

町の人たちはホントに親切な人ばかり。
近所付き合いがこんなに楽しいなんて、知らなかったなぁ・・・
だから最近では、修理の用がなくても
いろんな人があそびにくる。


1.タカヒロ

「おはよ!みずにー!!」
「よぉっ!タカヒロ!・・・あれ?今日は休み?」
「先生が急用で、おやすみになっちゃった」
「そうかー。ま、はいりなよ!」
「ありがと!」

タカヒロは、最近よく遊びに来る少年だ。たぶん、8歳くらいだったかな?
以前、歳を聞いたことがあったのだが、忘れてしまった。
でも、見た感じや話し方を聞いてると、11、2歳と言ってもいいくらいだ。
学校そのものが存在しないので、授業は家庭教師が半日、つきっきりで教えているとか。

ぼくとタカヒロが友達になったきっかけは、パンクと雨。
自転車が途中でパンクして、仕方なく歩いてたら雨まで降ってきて、
それでここにかけ込んできたらしい。
タカヒロは、最初はほとんどしゃべらなかったけど、はじめてみる工具や部品が気に入ったらしく、
ぼくがチューブに開いた穴を加硫溶着し終わるまでに、すっかり友達になってしまった。

最近は授業が終わると、時々ここにやって来る。
ぼくがトラクターや自動車をごそごそいじってるのを見てるのが楽しいらしい。

で、きょうは突然休みになったから、朝からここに来たってわけか・・・
今日は出張修理が入っているから、そろそろ出かけるんだけどなぁ・・・お、そうだ!

「なあ、今日はちょっと変わった授業をしよっか?」
「え?みずにいが先生やるの?」
「そうだよ。意外だった?」

「ぼくはあそびにきたんだよ。せっかくの休みなのにー」
「まあまあ、だまされたと思ってついてきなって」
「そう?じゃ、いってみようかな」

「よし決まりっ!さあさあ、工具を車に積んだら出発だぞ〜!」
「うんっ!」




2.課外授業

「タカヒロ、工具箱を開けてみな」
「うん・・・。何か同じような形のばかりだね。・・・でも、少しづつ大きさが違うんだ・・・」
「なかなかするどいぞ。それはスパナだよ。持つとこの近くに数字が打ってあるだろ?それがサイズだ」
「うん、・・・この10とか14とかの数字だね」
「そうそう、それだ。あと、これはモンキー。で、これがプライヤーで、これがワイヤカッター」
「うん、だいたいわかるよ。いつもみずにいの仕事を見てたからね」
「こいつはたのもしいや!きょうは午前中、ぼくの仕事を手伝ってもらおうと思ってるんだけど、どう?」

「え?じゃあ、みずにいのアシストをやるの?」
「そういうこと。町の修理屋さん一日体験ツアー!ってとこかな?」
「で、これからどこへ行くの?」
「この前、大きな雷がどっかーんって落ちただろ?」
「うん、あのときはびっくりしたよ!まるで頭の上に落ちたみたいにすごかったよ・・・」
「そのときの雷が原因で、病院の近くにある火力発電所からの送電が一部止まっちゃったらしいんだ。
で、これからそれを直しに行くのさ」
「どこがおかしいのかは、わかるの?」
「さあ・・・見てみないとわかんないなぁ」



久里浜火力発電所。海岸沿いに建てられていたが、基礎がしっかりしていたため、山寄りの4号タービンだけが
水没を免れ、現在も稼動中。1・2号機は建屋ごと水没してしまったが、3号機は給電施設やタービン等がかろうじて
引き揚げられ、これらは4号機のスペア用として倉庫に保管されている。

一部の地域だけ送電が止まったということは、タービンじゃないな・・・。でも、給電ラインだと厄介だなぁ。
耐電スーツは持ってないし、送電は止められないし・・・

「さあ、着いたぞ!」
「うわぁ・・・でっかい建物だね。煙突も、あんなに大きかったんだ・・・」


3.オンライン

まず、ここの管理人のおじさんに話を聞くことにした。
「こんにちは、どうも遅くなりまして」
「やあみずさん!どうもすみませんね、本来あたしが対処せなあかんのですが、今度ばかりはどうもね・・・」

「原因がわからない?」
「そうなんですわ。タービンは快調だし、電線は切れとらんし・・・」
「最初から説明してもらえますか?」
「この前の雷で、一旦ここの送電は切れちまったんですわ。でも、すぐに自動復帰しました。ところがですよ、
その後から急に消費電力がふえてるんです。それも今の4号機だけでは危ういくらいなんですわ」
「え?だって、今の人口だったら4号機だけで充分じゃないんですか?」
「そうなんですよ。でも、このラインだけがずっと容量ぎりぎりで流れているんですわ」

「えっと、状況がよくわからないんですけど・・・」
「実際に雷が落ちたラインは、保護回路が働いたので無事だったんですよ。今回問題になってるのは別のラインです。
雷が落ちた後、急に消費電力が上がって、そのままさがらんのです」

「消費電力急増の原因は断線や漏電ではないんですね?」
「そうです。鉄塔から電柱まで見てきました。断線や漏電はありません」

・・・落雷の過電流が他のラインに回り込んだのかも・・・安全装置は本来発電機を保護するためにあるから、
バイパスした過電流が回りまわって受電側の装置をおかしくしたんだろうな・・・




「地図、ありますか?」
「どうぞ。今問題になってるのは・・・と、このラインです」
このラインの先は・・・リサーチパークじゃないか!
ということは、ここの施設のどれかに落雷の影響が出たんだな・・・

「で、その消費電力は、とても単なる一般消費の上昇とは考えられない、と?」
「だいたい扇風機とラジオ、電灯しかない家ばかりで、そうそう増えるもんじゃないでしょう?」
「そうですね。ということは、リサーチパークの施設のどこかの装置が何らかの原因で再起動したんですかね?」
「そうかもしれませんね」

「じゃあとりあえず、そっちのほうを見てきましょうか?」
「ええ、お願いできますかねぇ。・・・それから、給電施設の応急処置だけお願いしたいんですけど。
いつ落ちるかわからん状況なんで」
「わかりました。おーい!タカヒロ、仕事だぞー」

「みずにい、遅いよ〜。何やってたのさー」
「ちょっと厄介な故障らしくてナ、ここは応急処置だけやって、すぐ移動だぞ」
「わかった。じゃ、工具持ってくるね」
「革の手袋もたのむよ!」
「わかったー!」

タカヒロには、給電設備の上にいるぼくに工具を渡す役を頼んだ。
ぼくの指示した工具を紐にくくって、ぼくの手元までスルスルと渡す。
地上10m。工具箱片手に昇れる高さじゃなかったので、すごく助かった。ショートピンをかまし、
焼けた部品を外し、予備を2個パラで取りつけ、1.4倍の容量に耐えられるようにして、
かましていたショートピンを外す。ここまでの作業で約1時間。
これでもう落ちることもないだろう。

「サンキュー、タカヒロ!」
「へへっ、役に立ってた?」
「ああ、すごく助かったぜ!」

「タカヒロ、午後は、どうする?」
「午後は、ちょっとね・・・」
「コアジロ?」
「何で知ってんの!?」
「アルファさんから聞いちゃった」
「もう、アルファったら、そんなこと言わなくても・・・」

「あの雨の晩は、ぼくもタカヒロさがしに出てたんだぜ」
「あ、そうだったんだ・・・あの時はミサゴに助けてもらって」
「そのお礼がどうしても言いたいんだろ?」
「うん・・・。ミサゴに、会えるかな」
「きっと会えるさ」
「そう、そうだよね」

タカヒロの自転車がウチに置きっぱなしだったので、一旦ガレージに戻って、
きょうの課外授業はこれでおしまい。

「じゃ、またね!」
「うん、またこいよ!」

午後は、リサーチパーク内の各ビルの電力消費量をチェックして回る予定だ。
遮断しても問題のない施設は、片っ端から給電をカットするつもりだ。


4.シャットダウン



横須賀リサーチパーク、通称YRP。
1970年代に造成された工業団地である。
当時この付近一帯にあった研究施設は、2055年までに全て27号・28号コロニーに移転してしまっており、
今もここに残されてるものは、たとえ固定資産であろうと所有権は誰にもない。
そんな建物達だが、近所の人が時々掃除だけはしているらしく、比較的きれいな外観を保っている。

だれも使ってないので勝手に主電源を落としても一向に構わないのだが、万一、給電によって維持されていた何かが、
シャットダウンによって危険な状態になったり、爆発を起されてはたまらない。

それをこれから、しらみつぶしにチェックする。



YRP1号館・2号館・カフェテリア
危険物の確認完了、異常なし。
シャットダウン実行。

ドコモR&D研究所
稼動中の冷却装置を確認。
CRAYのスパコン用だった。実行ファイルはない。電源断。
冷却漕のバルブを閉鎖し、シャットダウン実行。



ノキア・ジャパン技術開発センター
シャットダウン作業中に突然アラームが・・・
バックアップ電源の動作不良警報だった。その他は異常なし。シャットダウン実行。

それにしても、こんなに多くの施設が無人、というのが不気味だ。
建物がきれいなだけに、その違和感はいっそう強調される。
まるで20世紀の墓標のようだ。

もはや使う人のいない施設。
「廃墟」というと朽ち果てた建物を連想するけど、こんな廃墟もあるんだ・・・

松下通信YRP研究所
純水処理施設よりサビによる漏水および漏電あり。
絶縁対策後、シャットダウン実行。

オプトウェーブ研究所
衛星追従型のアンテナモジュールを発見。
これを使うとサテライトネットの通信速度が格段に速くなるらしい。迷わずGET。
とは言ってもガレージまでは持ち帰れないので、サブアンテナをガレージに向け、
このアンテナモジュールと直結し、レピータ(無線中継機)に仕立てた。

これでネットへの通信速度が上がり、さらに通信エラーも減るはずだ。
さいごに「使用中です。問い合わせは、町外れのガレージ355へおねがいします」
と張り紙をしておいた。
ジャンクヤードの社長のような人が勝手に持っていかないように、念のため。
その他は特に異常なし。アンテナモジュールの電源を残し、シャットダウン実行。

篠原重工HOS開発研究所
ビルが環状に建っていて、中庭がテストコースのようになっている。
遠くのほうに倉庫が建っている。
近付いて扉をあけると、鍵はかかってない。

倉庫にはアクチュエータや、何かの外装部品が積まれていた。
素材はおそらく軽合金とファイバーの複合品。
建設機械か何かの開発品らしい。
そしてこれは・・・リアクティブアーマー?らしき、火薬臭くてやたらと重い布袋。
陸自かマル防向けの部品だろうか?

ここは動力音もなく、コンピュータ等の電子機器はすっかりなくなっていた。
そして、電源はすでに完全に落とされていた。

YRP社員寮跡
危険物は特になし。近所の農家の人が倉庫代わりに使っているため、
消費電力量のチェックのみ済ませ、シャットダウンは見送ることにした。

その他、YRPに点在するビルを次々と点検。
全く使われていない設備はすべてシャットダウンした。
しかし・・・



さっきから無線で火力発電所と連絡を取り合っているが、これだけの施設の電源を落としても
消費電力に目立った変化はないそうだ・・・

あと、手をつけてない所は・・・

あった。


5.通研

NTT横須賀研究開発センター。ここをよく知る人は、昔の名称を略して「通研」とよぶ。
1972年建設だから、もうすぐ築90年になる古い建物だ。



通研。ここは、ぼくにとって特別な場所だ。
将来のぼくが27号コロニーに行く直前まで働いていた場所。
そして3年前から、ここにはもう、誰もいなくなってしまった。

いろいろ調べた結果わかったのは、通研の主要設備は10年以上前にコロニーに移転したこと、
3年前までは、研究員がひとりでここに残っていたこと、そしてその研究員はぼくだったこと・・・

町の人たちは、その研究員の名前を知らなかったらしい。
だから、今ここにいるぼくと、その研究員が同一人物だとは誰も考えていないようだ。

こんなところで、ぼくは何をしながら、たった一人で7年も過ごしていたのだろう・・・?
学会誌の投稿時期を見ると、ここで独りでいる間にも次々と論文を出していたらしい。
変わってないな、独りでこつこつと没頭するくせ。
レプリケータの開発は、そんなに楽しかったのか?

夢を追いかけて入社したデンソーを、あっさり辞めてまで没頭とはね・・・

ジャンクヤードのコンピュータで、偶然にも知ってしまった。
ぼくは将来ここで、レプリケータの実用化に成功するらしい。
スポーツカーの設計という、子供の頃からの夢を捨てて・・・

ここに来たばかりの頃は、通研の独特の外観が好きで時々見に来ていたが、
ジャンクヤードで将来の自分の姿を知ってからは、
通研に自分の影を見てしまうような気がして、いつも何となく避けていた。
通研を後回しにしていたのは、そんな理由からかもしれない。

かちゃん。
きいぃぃぃ・・・・・・・・
錆びついた門を開け、中に入る。

長い上り坂のてっぺんに、通研は静かに建っている。
ゆるい左カーブ。T字を左折。

正面玄関前に車を停め、ドアを押し開けて中に入る。
ぞっとするほどきれいに片付いている。ゴミ一つ落ちてない。
建物の中に入るのははじめてだが、こんなにきれいになってるとは意外だった。



「・・・?」
ふと、誰かが上からこっちを見ているような気配がした。

「誰もいるわけ、ないかぁ・・・」
人の気配は、気のせいだったらしい。


屋上から順にチェックすることにした。
2基あるエレベータは、ボタンを押してみたが、どちらも使用不能。
階段で行くしかないか・・・


6.アクティブ

屋上から順番に設備をチェックするため、階段を上る。
最近ほとんど運動してないのでかなりしんどい。
耳を澄ませると、かすかに動力音らしき音が聞こえる。
何かが作動しているのは確かだ。

ようやく屋上に到着。



いつのまにか、すっかり日も暮れてしまった。
屋上には真上を向いた直径10mのパラボラが一基と、GHz帯用の送受信アンテナが2対。
コンバータがわずかに熱を帯びている。ということは、このアンテナは動いているのだろうか?
他には特に、気になるものはなかった。

10階から順番に下りてゆく。
9階にログオンしたままの端末を発見。
実行中のファイルはなかったため、EXITコマンドでシャットダウン。
各階にあるブレーカを片っ端から落としていく。

8階から2階まで、めぼしいものは何もなかった。
みんな移転のときに持っていったか、誰かが持っていったのか、
残っているのはガラクタばかりであった。

1階と地下1階もチェック。地下1階は書庫になっていた。保管されているのは紙の書類。
ペーパレスになる前の大昔の書類。
日付から見ても、これらの書類には技術的価値はもうない。
1987年9月出願、無線電話の通信傍受防止プロトコルについて・・・これって92年に公開したやつだ。
古いなぁ・・・

こんなことしてる場合じゃないって・・・


7.B2

メインの配電盤は、たぶん地下2階だ。
ふつう、この類の機械室は最下部にあるものと相場が決まっている。

地下2階に到着。
やはりここだ。くぐもるような低い動力音があたりに響いている。



機械室。音源はこのドアの向こうらしい。
鍵はかかっていない。

がちゃ。
ぎぃぃぃ・・・・・・がこぉぉぉん・・・・

中に入る。

空調か何かが動いている音がきこえる。

屋上からこのB2まで、電源関係の安全はすべて確認した。シャットダウンしても問題ない。
配電盤をさがし、シャットダウン実行。

YRPの中で最も古い建物なのに、機械室の電源は最新のコンピュータ管理だ。
ブレーカはなく、すべてオンラインで制御しているらしい。

端末に向かってコマンドを入力する。
「コンピュータ、シャットダウンシークエンス実行」
「認証コードをどうぞ」
「マニュアルは・・・と、これか。・・・えーっと、エマージェンシーコードゼロワン」
「認証コード確認、シャットダウンシークエンス実行します」
よっしゃ。

ディスプレイ上に、読めない文字が、ぱあぁ・・・・と流れ始めた。
時々画面のスクロールが止まる。どこかのシステムのシャットダウンを実行しているのだろう。

しばらくして、ハングしたように画面のスクロールが完全に止まった。
「現在の認証コードではこれ以上のシャットダウンは実行できません。これ以上のレベルの
シャットダウンは、セキュリティエリアからの実行コマンドが必要です」

何だ?

「コンピュータ、セキュリティエリアの入り口はどこだ?」
「地下3階です」

地下3階?この建物は地下2階までしかないはずだぞ・・・
すると、この下には公開されていないフロアがあるのか?

「地下3階の入り口はどこだ?」
「エレベータ横の非常階段です」

非常階段か・・・

機械室を出て、つきあたりを左。
その奥にエレベータがあり、その裏側が非常階段になっている。



非常階段はすぐに見つかった。地下3階に降りる階段は、
防火扉のように見えたところを開けたら見つかった。
階段を降り、地下3階へ。
また重い扉がある。だが鍵はかかっていないようだ。

がこん!
ぎぃぃぃ・・・

こ、ここか・・・!


8.B3

ドアを開けると、壁の右側面にカードリーダがあった。

奥にはステンレス製の大扉。
その扉の小窓から中を見ると、かなり奥の方までわけのわからない機材がひしめいている。
すごい量の機材だ。ここが放棄されてからは、誰も入れなかったのだろう。何もかも残されている。
まちがいない。ここがセキュリティエリアだ。
しかし、この扉を開けるには、IDカードが必要だ。

カードリーダは非接触のICチップ方式らしい。磁気カードではだめだ。
ICチップ式のカードなら、今2枚持っている。
日産のメンテナンスカードとデンソーの従業員証。

まずはだめもと、日産カードで反応を見る。
ピッ・・・
「もう一度、カードをセットしてください」
ま、あたりまえか・・・

次にデンソーの従業員証。
これは将来のぼくが、デンソーからこの施設に出向していたことを考えると、
けっこう期待できる。

ピッ・・・
「こんにちは、水谷博士。最終アクセス日は2055年7月1日です。お元気でしたか?」

やった!
「・・・ああ、元気だよ。セキュリティエリアへの立ち入りを許可してほしいんだけど?」
「網膜パターン確認中です・・・照合確認。ドアロック解除。どうぞお入りください」
「ありがとう」

レプリケータ開発は、当初NTTとデンソーをはじめとする大手数社の共同プロジェクト。
したがってデンソーの社員証が使えるかも、という読みは見事に当たった

セキュリティエリアに入ると同時に、ぱあぁ・・・っと、照明がともった。
山積みされた測定器、それらを結ぶおびただしい数のケーブル。
最初は整然としていたのだろう。下のほうにある機材はきちんと並べてあり、配線もきれいだ。
その上から、ほぼ行き当たりばったりに機材が追加されている。
そして、その広いフロアの奥のほうに、制御部らしき装置群を見つけた。


9.プロトタイプ

通研に隠された地下3階のセキュリティエリア。
そこには、かつてぼくが研究していたときの装置が、今もそのまま残されていた。

広い部屋の中は、数えるのもうんざりするほどの機材の山。
ただよく見ると、そのほとんどは測定器で、実験装置そのものは3Dデータ生成用パソコンと、
洗濯機ほどの大きさの材料投入・攪拌機と、製品チェック用の3Dスキャナだけだ。

レプリケータの試作品は、拍子抜けするほど貧相な装置だ。
ドアのない巨大電子レンジ、とでも言えばわかりやすいだろうか。
縦横高さがそれぞれ1mくらい。
それにパソコンと材料投入機がつながっている。

レプリケータ自体はこれでフルセットらしい。
実にシンプルだが、問題は消費電力だ。
電源コードの太さから、レプリケータの消費電力が尋常ではないことがわかる。
おそらく200A以上の電流が流れるのだろう。足でけとばしてもこのコード、びくともしない。

制御用のパソコンが起動している。
画面のメッセージによると、レプリケータは待機状態になっているらしい。
隣のモニタを見ると、今レプリケータは10kWの電力を消費しているらしい。
測定器も作動中だ。そしてそれらを冷やすための空調もフル稼働している。

今、セキュリティエリア全体の消費電力は約50kW。
これはこの時代の一般家庭70軒分、つまり町一つ分の消費電力に相当する。
これだな・・・・まちがいない。
セキュリティエリアの装置が、何らかの原因で再起動し、それが原因でYRP行きの
給電ラインがオーバーロードしたのだろう。

レプリケータのプロトタイプ。
今でも使えそうだが、使えたとしても使い方がよくわからない。
モニタ上では進行中のJOBは確認できなかったので、これらをシャットダウンすることにした。

「コンピュータ、シャットダウンシークエンス起動」
「パラメータを指示してください」
「セキュリティエリアを含む全システムのシャットダウン実行」
「認証コードをどうぞ」
「エマージェンシーコードゼロワン」
「認証コード確認・・・全システムのシャットダウンを実行します。本フロアの照明はシャットダウン完了と
同時に消灯しますので注意してください。カウントダウン開始します。シャットダウン実行まであと15分」



10.日記帳

モニタを見ると、シャットダウン完了までの予想時間が表示されている。
あと15分。案外時間がある。
5分前になったらここを出よう。

デスクに積まれたファイルを手にとってみる。
ぼくはここで、どんなふうに暮らしていたんだろう・・・
でも、出てくるのは手順書や測定データ、技術資料ばかりだ。

ん?
技術資料ファイルの中に、ボロボロになったノートが挟まっていた。
ひどく傷んでいる。

日記帳だった。

シャットダウンまでまだ時間はある。
椅子に座って日記帳を開く。

不思議な感覚。書いた覚えのないぼくの筆跡。
報告書みたいな固っ苦しい表現。
まちがいなく、ぼくの文章。

最初の方から順に見ていく。
一週間分がまとめて書いてある。これじゃ週報だ。いかにもぼくらしいけど・・・
内容はほとんどが技術メモの類だ。
レプリケータの分子再構築速度と消費電力の最適化がカギだったようだ・・・
毎週末の「残された課題」の題目は、ほとんどこれだ。

ページを繰っていく。たまにそのときの心境なども書いてある。
「’53年11月23日。最近急に冷え込んでくる。木々の落ち葉が秋の終わりを知らせてくれる。
独りで居ることに慣れていたつもりではあったが、ふと寂しく思うこともある。
コロニーからはまたいつもの移動勧告。当然無視。コロニーでは車の私有は禁止だから、
車が作れるのはここにいる間だけだ。まもなく勧告だけではすまなくなるだろう。残り時間は少ない」

・・・あれ、車作り?

「’54年12月20日。今年は暖かく過ごしやすい。日中はコートが要らない日もある。
麓の修理工場よりアル坊3号の修理完了との連絡あり。1年ぶりに乗れる。すごく楽しみだ。
そういえば1号はどうしてるだろう?最近『博物館』にも行ってないし・・・たまには見に行ってやらないと」

博物館?

「’55年7月、不本意ではあるがここを去るときがついに来た。私の体はもはやひとりで生活できるほど
健康ではないようだ。これから27号コロニーに移住するが、心残りは、子供の頃からの夢が
かなわなかったことだ。レプリケータにはまだ問題点が多い。とても車全体を作ることなど無理だ・・・」

ああ、なんてことだ・・・

ぼくは最後まで、ちゃんと夢を追いつづけてたんだ。
子供の頃からの夢を、80を過ぎても追いつづけてたとはね。
でも、かなえられなかったんだ・・・

「シャットダウンまで、あと5分」
わ、そろそろ出よう。
ぼくはあわてて椅子から立ちあがった。

がちゃ!!
なんだ?

つま先になにか当たった。部品が入ったダンボールの音だ。
足元から、その重い箱を引きずり出し、中を見る。
「えっ!?・・・タービンブレードに、ショックにバネに、サスアームに・・・」
同じ部品が幾つもある。奥にはもう一箱あり、そちらは不良品らしく、部品の一部が欠けたりしていた。
欠損部を見ると、メッキしたように光っている。まさか、この部品、レプリケータで作ったのか・・・?

もうあまり時間はない。
ショックアブソーバを1つ、背中に突っ込んだ。
日記帳と、持てるだけのファイルを掻き集め、ぼくは急いで出口に向かった。



5分後、非常灯を除く全ての照明が音もなく消え、シャットダウンは完了した。
通研は完全に沈黙し、YRPの全施設のシャットダウンは無事完了。

まもなく、発電所の消費電力が正常値に戻ったとの無線連絡が入った。
「よし、撤収!」
持ち出した荷物をトランクに放り込み、ぼくはガレージに戻った。


11.夢の続きを



昨夜寝るのが遅かったので、今朝は寝坊してしまった。
目がさめたら太陽がかなり高いところにいる。
「あっちゃー。めずらしく寝坊しちまったな」

昨日の通研でのできごとが頭を離れない。
持ちかえったファイルの中身が気になって仕方がない。
これは、きょうは仕事にならないなぁ・・・

今日は閉店にしよう。
看板をしまい、部屋に戻って、昨日持ち帰ったファイルを開いてみた。

ぼくの夢。あと一歩でかなわなかったけど・・・
でも、最後まで夢を追いつづけていた・・・70年経っても忘れることなく・・・
レプリケータでオリジナルの部品を作って、それで車を組もうとしてたとはね。

持ち出してきたファイルの中身は、手書きのラフスケッチと図面だった。
ガスタービンエンジンにCVT、サスペンションにインパネ周り・・・
ありったけのアイデアが詰まった分厚いファイル。

そして、持ち帰ったショックアブソーバ。
実によくできている。よく見ると、ねじ止めや溶接箇所が全くない。
どうやら一括製作らしい。分子レベルで積層構築するため、組み付けという概念がないようだ。
レプリケータでしか作れない形状。見慣れてない設計なので、すごく違和感がある。

時間のたつのも忘れて見入ってたらしく、気付いたら外はもう夕暮れ。

スポーツカーの部品を作るための、レプリケータの実用化。
そうか、これを最後までやるためにひとりでここに残ったんだな・・・

それならば、やることはただひとつ。

通研に行って、レプリケータを再起動だ。

急いで機材をそろえて、出発。
そういえば、昼飯も夕飯もまだ食べてなかったな。
ま、いいっか。


12.再起動



人気のない夜のリサーチパーク。「侵入」にふさわしい雰囲気だ。
車の明かりと、保守用の非常灯以外、あたりを照らすものはない。



リサーチパーク全体を総チェック。外から見る限り、異常なし。
通研に向かう。
正面玄関に車を停め、まっすぐ地下3階のセキュリティエリアに向かう。
例の従業員証をカードリーダに近付ける。

あれ?反応しない・・・
そうだ、システムを再起動してないや。

地下2階の機械室に戻り、セキュリティエリアの電源を復活させた。
これでいいはずだ。

もう一度。
ピッ・・・
「こんばんは、水谷博士。最終アクセスは昨日の午後6時です。今日の気分はいかがですか?」
「ああ、上々だよ」

ぼくはすぐにレプリケータのコンソールに向かった。
制御部の電源は、・・・これか?

ぶうん!
一瞬、明かりが暗くなった。
レプリケータは正常に作動を始めたらしい。
OSが起動した。レプリケータの制御プログラムが起動。全システム異常なし。

まもなく、レプリケータはスタンバイ状態になった。


13.試運転

画面表示にしたがって、手順を確認する。
まず、3Dデータの入力。次にモデリングの確認。
この時点で、レプリケータは必要な素材の量を計算する。
計算結果が表示されたら、要求された量よりちょっと多めに材料を投入する。
これは不純物があってもよい。炉の中で分子レベルまでバラバラにするため、
不純物や無意味な素材が入っていても分別可能なのだ。

次に製造工程。「巨大電子レンジ」で、分子レベルで3Dデータ通りのものを作り出して行く。
構築速度は、剛体で1kgあたり約15秒。発泡体等、気体を含有する場合は1kgあたり15〜30秒。
ただし消費電力が質量の2乗に比例するため、重量物ほど一括成形は困難となる。

さっそくレプリケータにデータを入力する。

まずは簡単なところで、スプリング。 これはレプリケータのコンピュータにデータがあったので、
それをもとに合金組成を少し変えたものなど、数種類を作り、入力。

次に、レプリケータの指示に従い、似た組成の不良品を適当に放り込んで、スタート。

バチバチッ!!・・・・
青白い火花が走った。突然、目の前が真っ白になった。
すさまじい光。完全に何も見えなくなった。
目を閉じていても、まぶた越しにまわりが見えるほど強烈な光。
おまけに白煙とオゾン臭で、肺がやけどしたみたいに痛い。
こりゃたまらん!

ぼくは出口へ向かおうとしたが、白煙で方向がわからない。
もうだめか!と思ったら、まもなく青白い光は収まり、白煙もひいてきた。

「まさか、手順まちがえてこわしちゃったか!?」
この状況は、どう考えても正常な作動とは思えない。

しかし、換気装置が白煙を追い出した後、「電子レンジ」の中には、ぼくが入力したばね6本がちゃんと入っていた。
どうやらこれで正常らしい。
しっかし、こんなんで実用化って言えるのかよ・・・
めちゃめちゃ恐い機械じゃないか!!

とりあえず、出来上がったサンプルを持って、ガレージに帰るとしよう。
使い方はこれでわかった。あとは、データさえあればだいたいの物は作れるだろう。

これは本当に、スポーツカーの製作に、使えそうだ。
よし!ひとつこれで夢を現実にしてやろう・・・

ぼくは完成したばねを持って、ガレージに戻った。
一通りの耐久試験を行なって、設計通りに物ができているかをチェックするためだ。
しかし、消費電力の件だけはどうにかしないとなぁ・・・
今度、火力発電所に事情を話しに行かなくちゃいけないな。


14.測定結果

レプリケータで複製したばねは、実はアル坊1号のリアスプリング。
実際に車についているものを外し、測定器にかける。
ばね定数、衝撃破壊強度、表面処理硬度、塗膜厚さ・・・
車から外した本物と、寸分変わらない。まったくの複製がそこにあった。

次にパラメータを振ったものを測定する。
ばね定数を20%上げたものは、19.5%。その差わずかに0.4%
おそろしくいい精度だ。
これなら、仮想モデルがそのまま物に反映できる。それも材料特性までも・・・

これから、少しづつ、設計を進めていこう。

コロニーに行ってしまったぼくとは違い、今のぼくには
時間はいくらでもあるのだから。

町の修理屋さんの、余暇の趣味にはちょうどいい。
10年くらいかければ、きっといい車ができるだろう。

どうせぼくが乗るんだ。納期はあってないようなもの。
のんびりいこう。

さて、あしたは何しようかな?
天気がよければ、楠山までドライブに行ってみようか?
それとも、タカヒロのお気に入りの、小網代にでも行ってみようか・・・・

(第4章おわり)


連載中の原作では、アルファさんは濃いめに「ふらふら」しに行っちゃいましたが、ぼくの物語は
まだそこから5〜6年前という設定です(ちょうど原作の第3話あたり)

来月からは、一気に秋から冬へ。
この世界へ来て3か月。だんだん夜が長くなってきました。
そろそろぼくも冬支度。
第5章は、そんな話を予定しています。
たぶん、今回みたいなマニアックな話は、第10話までほとんど出てこないんで、
次回からはもう少し読みやすくなると思います・・・(^^;

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