あるサラリーマンの物語

最終章 「夢のあとに」


1.チェックリスト

今日は、いよいよクーペの修復の最終日。
エンジンを搭載して、ついに走行試験をやる時が来た。
これでちゃんと走れば、明日ゆうに車を返すことになる。



手製のチェックリストで、項目を確認する。
「ECUの作動テスト・・・合格」
「・・・っと、保安部品の締結と、封印ペイントの目視チェック・・・よっしゃ」
「ハーネスの結線・・・・チェック済み」
「計器類の単品動作チェック・・・・済み」
「内装部品のビス締め忘れ・・・・確認済み」
以下、自分で作業した項目をすべてチェック。

エンジンについても、ビス、シール類、配管、すべて問題なし。
あとはもう、エンジンを積むだけだ。

必要な工具と、オイル類を用意して、ゆうが来るのを待つ。

そろそろ朝になる。
そう。ぼくは明るくなる前から目が覚めてしまい、ずっとこんなことをやってたのだ。

スズメの鳴き声が、時々聞こえるようになってきた。



ゆうが来るのは、ハトの鳴き声が聞こえてくる時間だろう。
ちょっと、休憩してようかな・・・・・
zzz・・・・・

ふいぃぃぃぃ・・・ん、きいっ。
かちゃ

たったったっ・・・

「え〜もう作業はじめてるの〜・・・あれ?いない・・・あ♪」

その時、ぼくは完全に眠ってしまっていた。
うかつにも。

不穏な気配を感じて起きた時には、すでに手後れだった。

「おきろー♪!!」
「うわあっ〜!!」

あーびっくりした・・・・


2.搭載

「(-_-#)」
「ごめーん、そんなに効くとは思わなかったんだよ〜」
「はいはい、・・・んじゃ、これそでに付けて、皮の軍手はめてね〜」
「どれー?あ、あったあった」

「んじゃ、車をリフトで上げるよ〜」
きゅいぃぃぃ・・・・かちゃんかちゃんかちゃん・・・・・かち!

がらららら・・・ごんっ

「エンジン運ぶの手伝って〜」
「おっけー」

マーキング通りの位置に台車を持ってきて、ロック。
その後、ゆっくりと車を降ろし、ロワアームの位置を合わせてシャシーに固定する。
「そっちは合ってる?」
「1センチ前にずれてるよ〜」
「じゃ、ちょっと出すね〜」

こんこんこん、こんこん、かんっ!こんこん・・・
「ストップー!」
「オッケー?」
「ぴったしだよ〜」

ロワアームとミッションマウントを固定し、最後にエンジンマウントの角度を調整して、搭載完了。
あとは、補機とツインターボ配管の組付けだけだ。

3次元のCADを使って描いた配管は、恐ろしいほどぴったりと収まった。
クランプも、センサのハーネスも、ほぼねらい通りの位置に来た。

「すごいじゃん!」
「でしょ〜」
「これ、手作り?」
「いや、レプリケータを使ったんだよ。やっぱあれ使わないと、こんなに複雑なのは無理だからね〜」
「そうだよねー・・・でも、よく図面引けたね」
「・・・・??」

「CAD使える人なんて、おじいちゃん以外に見たことなかったもん」
「そういうものなん?」
「そう思ったの〜」
「そっか(^^」

配管と補機の取付けは、午前中になんとか終われた。
午後は、フロントの足回りを組付けて、オイル類を入れたら、いよいよ試乗だ。


3.テストラン

「ごちそうさま〜」
「おいしかった?」
「うん。やっぱゆうのほうが料理上手いわ」
「あたりまえじゃん( ̄ー ̄)」

「じゃ、こっち準備してるからね〜」
「おっけー。片付けたら行くよ」

オイル類は、去年の夏にヨコハマで仕入れてきたやつを使った。
結局、あの時に買ったものがいちばんいい品だった。

角のへこんだオイル缶を見ていたら、
アルファさんに初めて会ったときのことを思い出した。
「ふふふっ」
人ごみをかきわけて迫る巨大な買い物袋・・・(^^

エアコンは、炭酸ガスがないのであとでゆうの家で充填しよう。

冷却水、適量。
エンジンオイル、適量。
電気系配線、接続完了。
よし。

「おーい、準備できたよ〜」
「今行くね〜」

「できたの?」
「えへへ・・・じゃ、エンジンかけるよ」
「うんっ」

かち
きゅるるるるる・・・・ぼっ・・・ぼわっ!どぅどぅどぅどぅ・・・・・・ばりん!どぅどぅどぅ・・・・

「す、すげー音・・・・」
震えが来た。
ぼくは、べつにこのエンジンをチューンアップしたわけじゃない。
ただ、なおしただけ。
ということは、これがベースコンディションなのか・・・・?
アイドリングですでにこの音。

「外に出すね」
「うん」
ぱたぱたぱた・・・・

「おっけーそのままオーライ!」

かち
ばりん!どっどっどっどっどっ・・・・かちゃん!どっどっどっどっ・・・・・

「はいこっち〜」
「おっけー」
どっどっどっどっどっ・・・

かちゃ
ばんっ
「すげーエンジンだよこれ〜」
「音もすごいよね〜」

うるさくはないが、ほとんどレース用エンジンみたいな音質だ。

「油圧、水温・・・大丈夫。走れるよ♪」
「じゃ、しゅっぱーつ!」

「おー!(笑)」

ぷぁぁぁぁぁ・・・んしゅぱーっ!ふぁおん!ぷぉぁぁぁああ・・・・

「こ、こりゃすごい・・・・」
「え?」
「たぶんこの車、今の時代なら最強かもしんない」
「そんなにすごいの?」
「たぶん、今のまんま組みの状態で500馬力以上出てると思うよ」
「500馬力って??」
「アル坊2台分の力」
「えーすごいじゃん!」



朝比奈峠・・・
荒れまくった舗装にもかかわらず、首が痛くなるほどの横Gを感じるコーナーリング。
しかもコーナー出口のアクセルオンで、すこし流れるような姿勢でコーナーを脱出。
昔のグループCカーを感じさせるような、桁違いの安定性と速さ。
しかもこのぼくでも扱えるイージーさ。
すべてが
信じられないほどハイレベルだ。

このまま行くと、国道に出る。
「どうするみずにー、高速乗ってみる?」
「うん、行ってもいい?」
「ちょっとこわいけど、いいよ〜」
「よっしゃ♪」
「ちょっとなに〜?その『♪』は!」
「気にしない気にしない」
「気にする!無茶しないでよね〜!」
「大丈夫だよぉ(^^)」

ぷあぁぁぁぁ・・・・ん!ばしゅっ!ふぁおん!ぷっぉぉぉおおおおわぁぁぁぁ・・・・んしゅぱっ!ふぁおん!、ぷわぁぁぁあああああ・・・

6速のMTだが、4速6000rpmですでに200km/hを軽く超えている。
6速でレブまで当てたら、300km/hも楽勝かもしんないなぁ



「・・・この音!」
「え?」
「おじいちゃんの車の音だ・・・・。みずにー、・・・ありがと」
「いっしょの音・・・してるんだ」
「うん」
「じゃあ、レストアは成功だね。これでこの車の修復も完了だ」
「そうね」
「今日はもう一回全部チェックして、明日ゆうの家に持っていくよ」
「・・・うん」

ヨコハマの料金所でUターンして、すぐにガレージに戻った。
午後は花火の材料を調達するために、リサーチパークに行く予定だ。

「ねえ、今日は午後もヒマ?」
「うん、大丈夫だよ」
「じゃ、ちょっと手伝ってくれる?」
「さっき言ってた、花火の材料?」
「そうそう」

「篠原重工の・・・レイバー研?」
「そこにあるリボルバーキャノンの弾と、リアクティブアーマーの火薬が使えそうなんだよ」
「ふーん・・・」
「何のことかわかんないでしょ」
「うん。わかんない」
「だよな〜」


4.夕暮れ

まもなく、夕暮れになる。
ここ数日で、ホントに日が長くなった。

虫の音と、草のさわさわという音。
静かな、静かな夕暮れ。

テラスでボーっとしていると、聞こえてくるのは、そんなとってものどかな音たちだ。

ゆうに手伝ってもらって、たぶん必要だと思う分の火薬と弾頭は手に入れることができた。
晩ゴハンを一緒に食べたあと、ゆうにはすぐに帰ってもらった。
火薬の扱いは危ないからね。
「え〜わたしも手伝いたいなー」
「ちょっと危ないから、また今度ね」
「・・わかった」
「じゃ、気をつけてね〜」
「うん、おやすみ〜」

「さて、と・・・」
ガレージに戻って、続きの作業を始めた。
リボルバーキャノンの鉛の弾頭部をはずし、星玉につけかえる。
星は、いろんな発色をする火薬を何重にも重ねたものだ。
それを張り子の玉の中に、きれいに、きっちりと収める。

星は、レプリケータで簡単に作れた。
CADを使って、あっという間にモデルを作り、材料組成を指定。
あとは、チャンバにリアクティブアーマーを放り込むだけ。
帰りがけに通研に寄って作ってきた。
ちょうど3号玉10個分。
なかなか、いい感じだ。

作業は順調だ。
ラジオが、今夜の天気予報をしゃべり始めた。
この地域は、明日の昼まで晴れのようだ。
よかった。
雨が降ると、火薬が湿ってしまうので、星玉の組み上げは出来ない。

夜おそくまでかけて、星玉を10個、何とか作り上げた。
果たして、ちゃんと広がるかどうか・・・・
こればかりは、打ち上げてみないとわからない。

リボルバーキャノンの弾を使っているから、打ちあがるのは確実だ。
信管を電気式に改造して、容易には爆発しないようにしておいた。

「よっしゃ。これで完成だ」
今日は朝早くからいろいろあった。
いつもよりは早いけど、そろそろ寝よう。
ありあわせの木箱に毛布を詰めて、慎重に10発の花火を収め、しっかりと封をした。




5.急変

びいいいん、びいいいん、びいいいん・・・・
「・・・・んー・・・電話かぁ・・・って!?電話なんかないじゃん!!」
一気に目が覚めた。

机の上で、何かがびりびり音を立てている。

赤いLEDの点滅が、かすかに見えた。
「やべ!!」
ぼくは瞬時に状況を理解した。

ベッドから飛び起き、速攻で着替え、
ブルブル震えている検出器をわしづかみにして、ガレージに向かう。

シャッターを開けると、星が全く見えない。
空には厚い雲がたち込めている。



ぼくはすぐにアル坊に乗り込んだ。

かち
きゅるるぼわぁん!
こく
っふぉおおおお・・・・かっしゃぁぁぁ・・ん!・・・ぉぉぉぉん!ふぉぉぉぉ・・・

検出器は相変わらず、ぶるぶる震えている。
子海石先生の話では、危険レベルになったところで警告音も出るらしい。

とにかく、早くここから逃げたほうがよさそうだ。

「どっちだ?どっちが安全なんだ!?」
西は海だから逃げ切れない。
とりあえず、国道を北に向かうことにした。

考えている余裕はない。
アクセルはベタ踏み。タイヤはカーブにさしかかるたびに悲鳴を上げる。
いまのところ、視界の先の雲は切れている。

検出器の振動は、まだ止まらない。
だが、LEDの点滅のピッチが遅くなった。

1秒に1回。
どうやら安全圏に出たようだ。

そのまま国道に出て、カマクラ方面に向かう。

まもなく、点滅間隔は2秒に1回になった。
振動も、4秒ピッチになった。

もう、心配ない。

ぼくはUターンして、ガレージに向かった。


6.回避

東の空が明るくなってきた。
車の時計を見ると、午前3時を少しまわったところだ。

今日は、やけにひんやりとしている。
いつもなら、アスファルトの熱気がまださめないのに・・・



まだ、動悸が止まらない。
極性イオンの渦に巻き込まれたら、どこへ行ってしまうのかわからない。
もう、どこへも行きたくない。
このまま、ここでずっと、暮らしていきたい。



ぐぉぉぉぉぉぉ・・・・・
5速1000rpm
いつになく、ゆっくりと走っている。

窓もサンルーフも全開。
朝の空気を、車内にめいっぱい取り込む。

日の出まで、あと2時間。
この微妙な明るさを堪能しているうちは、心も落ち着く。

ちょっと遠回りして北の大崩れを通り過ぎ、T字路に向かう。
左折して、しばらく行った先を右折すれば、おじさんのスタンド経由でぼくのガレージ。

ぶおぉぉぉぉ・・・ん・・・きいぃっ!
「ウソだろ・・・?」

スタンドに行く道の先が、真っ白な霧におおわれている。
カップホルダーに置いた検出器は、赤く点滅している。
「これじゃ、帰れんじゃん!」

仕方がないので、右折をあきらめ、そのまま直進。
「どうしよう・・・このままだと、高速に乗っちゃうけど・・・」

天気が急に悪くなってきた。

衣笠インターをくぐってヨコスカに出る道は、がけ崩れで通行止。
ミラー越しに、真っ白い霧が見える。

「行くしかない、か・・・・」

ぼくは、ガレージに戻るのをあきらめ、高速に乗った。

雲行きは、だんだん怪しくなってきた。
日が昇るにつれ、あたりは真っ白になってきたのだ。

前方視界は、とりあえず良好。
しかし、後方は真っ白。
今の速度で逃げ続けていても、らちがあかない。
燃料は残り20リッター。
全開だと、あと140kmほどしか走れないが・・・・

「とにかく、圧倒的に引き離すしかないよ」

対面通行区間が終わった。
3速に落としてからフルスロットル。
4速→5速へシフトアップ。



ぶああああぁぁぁぁぁあああ・・・
ほどなく、速度計の針は200を超えた。

ミラー越しに見ると、霧はどんどん離れていく。
「よっしゃ」

このまま、見晴らしのいい場所に出て、逃げ道を考えよう。


7.一騎討ち

「ふう・・・ようやく引き離したけど・・・」
ここは、東名高速の海老名S.A.
ずいぶん来てしまった。
検出器は、完全に沈黙している。

見渡すと、霧は最初、かなり狭い範囲で発生して、急速に北西に広がったようだ。

今見るかぎりでは、極性イオンの霧は自然消滅しつつある。
このまま厚木まで走って、Uターンしよう。

やっと、帰れる・・・・

ぼくは、アル坊に乗り込み、発進した。

順調に加速。ランプウェイから本線に進入。

ふおぉぉぉぉぉおおおん!ぼぉぉぉぉぉおおおお・・・・・・
120km/hクルーズで、航続距離を稼ぐ。
そうでもしないと、残りの燃料が危ない。

びいいいっ、びいいいっ、びいいいっ!
「!」

左側から、とつぜん雲のかたまりが襲いかかる。

「うわ!」
どん!
しゃぁぁぁぁぁっ!

その場で右に急ハンドルを切りながらフルブレーキング。
さすがのABSも、対応しきれないようだ。
それを意図した急ハンドル。
その場でスピンターンして、すぐに逃げる。

完全に逆走だ。
危険は承知。でも、もう後へは退けない。

さっきまで、後続車も前走車もいなかった。
相手の速度が遅ければ、多分避けられる。

それに、インターまで行けば、下り線に乗り換えられる。

ふたたび加速。だが・・・
「何だよ一体・・・・なんで囲まれるんだよ!」

いつのまにか、あたり一面が霧で真っ白になっている。
しかも、ミラー越しに見ると、後ろから濃白色の雲が
渦を巻きながら追っかけてくる。

「来れるもんなら来てみい!勝負だ!」
ぼくは、残りのガソリンに賭けた。

4速全開から、シフトアップ。
ここで対向車が来たら、無事では済まないな。


8.敗北

びいぃぃぃっ!びいぃぃぃっ!びいぃぃぃっ!・・・・
警報のピッチは、ずっと変わらない。

・・・・ぴぴぴぴぴぴぴぴ・・
検出器が、ついに警告音を出し始めた。
「何!?・・・どこからだ!?」

右か!

ぼくは、思いっきり左にハンドルを切った。

すかっ
やけに軽く回った。
しゃぁぁぁぁぁ・・・・!
「しまった!追いつかれる!」

雲に囲まれていて、速度感が完全にマヒしていた。
ぼくは、200km/h以上の速度で急ハンドルを切ってしまったのだ。
タイヤが、急激な針路変更に悲鳴を上げた。
車は横滑りを始めた。完全に失速状態。

「だめだ、追いつかれる・・・・・・」
リアウインドウ越しに、右側方から迫る、雲のかたまりが見えた。

カウンターステアを当てているが、全然効果なし。
アル坊は、そのまま車線の中央に向かって、滑っていく。



ボディが、青白い光を放ち始めた。

ほどなく、目の前が、真っ白になった。
あの時見た、夢と同じだ・・・・

雲の切れ間から、対向車のハイビームが見えた。
「だめだ!よけきれない!」
制御不能になったぼくとアル坊は、まるで吸い込まれるように対向車に向かっていった。

「ああ、ぶつかる・・・!」

ばちいいいい・・・ん!
するどいスパーク音とともに、すべての電気系がダウンした。
車体が風圧で浮き上がる。
引き裂かれたバンパーが飛んできた。ナンバーまで、はっきり読めた。

対向車も衝撃でスピンしている。
車種まではわからないが、アル坊と同じくらいの大きさの、4ドアセダンのように見えた。

やがて、その対向車も霧の中に消えていった。

もう、なす術はない。

・・・・これは、夢だろ?
きっと、汗だくになって、ベッドから落ちて、そこで目が覚めるんだろ・・・・・?

ゆう
ピアス、まだ探してないや、ごめん。

おじさん
すいか、もらいに行けそうにないです。

アルファさん
もう、コーヒーのみに行けないや・・・・

先生
結局、最後までお世話になりっぱなしでしたね。

タカヒロ
ミサゴに、会えた?

みんなに、さよならも言えないなんて・・・

ああ、・・・・なんか、だるいや。
ちょっと、休もうかな・・・・・・


9.救出

・・・・・ばああああ・・・ちゅいいいいいい・・・・んばちばちばち!
ばりっ!
ばこん!
ざわざわざわ・・・・

「おい君、大丈夫か!・・・おーい誰か!担架をこっちへ!!」

誰かがぼくを抱え上げて、車から引きずり出して担架に乗せた。
全身の感覚がない。
頭で何か考えようとすると、激痛が走る。
全身が、すごくだるい。

「君!自分の名前、言えるかね!?」
「・・・・あ・・・・みずにー・・・いえ、水谷・・・・です・・・・・」

それだけ言うのが精一杯だった。

・・・・ああ、事故っちゃったんだな・・・・
担架に揺られながらあたりを見ると、ぼくの車以外に十数台の車が、事故を起こしている。
多重事故のようだ。
「そうだよ。・・・ったくみんな、キリ走行注意という警告が出てるのに、減速しないからこうなるんだよ」
「はぁ・・・・すみません」
「ま、君の車は誰かに追突したわけじゃなくて、前方の事故を避けようとして、単独で側壁にぶつかったみたいだったがね」
「そう・・・ですか・・・・」

反対車線は、スムーズに流れているようだ。
トラックがばんばんと行き交っている。

「よし!合図で移すぞ、1、2、3!!」
がしゃ!
「うっ・・・・」

「では水谷さん、これからあなたを病院まで搬送します。あなたの車は最寄りの高速隊基地で保管しますので、
こちらに同意のサインをお願いします」

「では・・これで」
「はい、・・・OKです。よし、搬送してくれ!」
「了解!」

ばん!
ぶおぉぉ・・・


10.退院

2ヶ月後

リハビリも終わり、ようやく手放しで歩けるところまで回復した。
会社は、ずっと休んだままだ。

栃木研究所に持っていくエアコンユニットは、どうなったんだろう?
そして、ぼくの車は・・・?

いろいろなことを、徐々に思い出してきた。

あれは、夢だったのだろうか?
三浦半島で過ごした1年。

アルファさんや先生、スタンドのおじさんに、町の人たち。
そして、ぼくの孫娘のゆう・・・・

新聞の日付は、1999年8月17日。
事故当時、ぼくが気を失ってたのは、十数分だという。
やはり、夢だったのだろうか・・・・

とても、そうは思えなかった。
ぼくは、まちがいなく
この足であの土地を歩いていた。

60年後の世界で
ぼくは、ガレージで暮らし、車を走らせ、楽器を弾いて、畑を耕し、
暑さに汗をかき、寒さに凍えていた・・・・

ぜったい、あれは
夢なんかじゃない・・・・






数日後、退院許可が下りた。

久しぶりに帰るわが家。
当たり前だが、ぼくの部屋は相変わらず散らかっていた。
リフレッシュ休暇は、8月下旬まで申請してあったので、出社まであと2日ある。

もう、歩き回るのに不自由はしない。
できることなら、もう一度・・・・

RRR・・・、RRR・・・、RRR・・・
かちゃ
「はい?」
「いつもお世話になっております。あの〜アルピナの修理が終わりましたので、こちらまで取りに来ていただけますか?」
「あ、直ったんですか?」
「ええ、モノコックの損傷がほとんどなかったんで、比較的軽傷だったんですよ」

「あの、支払いの方は・・・?」
「全額、車両保険が適用されますので、印鑑をお持ち頂けるだけで結構です。お支払いの必要はありません」
「すぐ、乗れるんですか?」
「ええ、ただ・・・」
「ただ?」

「事故現場から見つけられるだけの部品を回収したんですが、フロントのナンバープレートが
見つからなかったので、番号が変わっちゃうんですよ・・・・」

「そうですか・・・ま、仕方ないですね」
「すみません、これも規則なんで・・・」
「じゃ、今から伺ってもいいですか?」
「はい、お待ちしております」


11.再会

ディーラーまで、歩いても10分もかからない。
堤防沿いを、川を眺めながら歩く。
セミの鳴き声が、暑さを増幅している。
汗が出てきた。まだ朝だというのに、まったくこの暑さときたら・・・

担当の人は、暑いのに紺のブレザーをきちっと着込んで、ぼくが来るのを待っていた。
「いらっしゃいませ、こちらです」
キーを渡されて、ピットの奥に案内された。
「おぉ・・・」
そこには、前よりもきれいなアル坊の姿があった。

「ナンバーは変わってしまいましたけど、他はすべて修復しました。
特に内装は、新しい部品は使わずに、できるだけ当時のオリジナルの部品を残してます」

ボディのチリも、救出される時切断されたドアも、すっかり元どおりになっている。
「エンジン、足回りもすべて元どおりです。塗装は、東京の業者にこちらまで出向いてもらって全塗装しました」
「すごいですね」

でも、いちばん肝心なところは、実際に走ってみないとわからない。

かちゃ
ばんっ!

ステアリングの感触は、昔のまま。
シートの触感も、いつも通りだ。
位置を合わせ、キーをさす。

かち
きゅるるぼわぁんぉぉぉぉぉ・・・

よかった・・・
「いつもの音、してますね」
「ありがとうございます」

「では、お気をつけて。まずはこのあたりを走ってみて、何かありましたら、すぐご連絡ください」
「わかりました。どうもありがとうございました!」

こく
ふぉぉぉぉぉ・・・んぶぉぉぉぉぉおお・・・・

休暇は、あと2日ある。

「やっぱ、確かめたいな・・・・」

ぼくはそのまま家に帰らず、名古屋インターに向かった。


12.望郷の果て



横浜町田インターを降り、横浜横須賀道に乗り換える。

真夏の昼下がり。
海が近いせいか、鎌倉・葉山のインター近くは渋滞している。
渋滞を抜けると、まもなく、衣笠インターに着く。

インターを降りて、すぐの陸橋を右折。

デジャ・ヴ?
不思議な感覚だ。
家や店が建て込んでいる。
でも、この道は見覚えがある。

初めて来たはずの町なのに、
ぼくはここをよく知っている。

通研通りを左折してみた。



急なS字を登ると、突然目の前に通信研究所が現れた。
そのまま通用門から中に入る。
来客者駐車場に車を停め、守衛室に向かう。

「あのー・・・」
「はい、なんでしょう?」
「私、株式会社デンソーのものですが、こちらの施設を見学させて頂けないかと思いまして・・・」

「いや、御面会でないと、ちょっと・・・」
「そうですか・・・」
「何か、私でお答えできることがあれば、お答えしますよ」
「じゃ、ひとつだけ」
「どうぞ?」

「ここには、地下3階はありますか?」
「いえ、地下は2階までです」
「そうですか・・・どうも。ありがとうございました」



やはり、夢だったのだろうか?




久里浜に行ってみた。



先生の診療所は、バリケードに囲まれており、廃屋のようになっていた。
とても、人が住んでいるようには見えない。



海岸線を南下して、西の岬に行ってみた。



夏休みなので、こんな時間でも渋滞している。
三崎口の駅を通りすぎ、
水戸の交差点を左折。

すいか畑をすすんでいくと、貸し別荘があった。
「けっこう似てるけど・・・」



真新しい貸し別荘
誰も住んでないようだ。


そして、ガソリンスタンド
ちょうど、ガソリンがなくなりかけてたので、給油に寄ることにした。



「いらっしゃいませ。ま〜めずらしいですね、名古屋からですか?」
「ええ、ちょっとドライブで・・・こんなに遠くまで来ちゃいました(^^」
「ほーんと、なにもないでしょ?このあたりは」
「そうでもないですよ。すごく落ち着く景色でいっぱいで、すごく気に入っちゃいましたね〜」
「そうですか?わたしはいつもここにいるから、ここに住んでてもあんまりよく知らないんですよ」

そして、ぼくの住んでいた、ガレージは・・・
跡形もなかった。



「ま、当然だよね・・・これから何十年後かに、ここに建つんだろうから」

わかっていた。
いくら、同じ場所を訪ねたって
みんなに、
会えるわけないじゃん・・・

「そんなことぐらいわかってるよ!・・・・でも、でも!」

少しでも、何か確証がほしかった。
あの日、あの時、あの瞬間・・・
たしかに、ぼくは
ここに居たんだ。

今でも、目を閉じるとまぶたに浮かぶ
真っ白なガレージ・・・


その、証しとなるものがほしかった。
でも、過去のものならともかく
未来のものが、ここにあるわけがない。

そんなことは、わかっていたけど
でも、それでもここに来て、確かめたかった。

今までずっと
こらえていた涙が、
ひとつぶ、またひとつぶと
こぼれおちた。


13.未来へ・・・・

明日から、会社に復職する。
課長の話によると、ぼくは異動することになるらしい。

かつてお世話になった開発の部署が、新プロジェクトチームを立ち上げたのだ。
そのメンバーに加えられたらしい。

出口のないトンネルのような設計の仕事から、ずっと戻りたかった開発の仕事。
それも、新プロジェクトときた。

明日からまた、忙しくなる。

「今のうちに、きれいにしとくか・・・」



アル坊を車庫から出して、洗車。
カーペットも外して、シートの隙間まで掃除機をかける。

やはり、あれは夢だったのだろうか?
そんなの、酷すぎるよ・・・・

「そうだ!」


「ある、きっとあるはず!」

ぼくは、必死に助手席の下を探しまくった。
「ない、ない・・・やっぱ、夢だったのか・・・?」

もうほとんどあきらめかけていたとき
シートの隙間に、一条の光を見た。


「やっぱり、夢じゃなかったんだ・・・・」



小指の先ほどの、小さなピアス。
ゆうがなくしたと言ってた、あのピアスだ。

たった一つの
ぼくが「あの世界」にいた証。

そっと拾い上げ、
両手に取って
きゅっと握りしめた。

ガレージで過ごした日々が
つぎつぎと脳裏をよぎった。

「・・・・ゆう、元気かな・・・」



・・・20年後・・・

かちゃ
ばんっ
「じゃ、行ってくるよ♪」
「行ってらっしゃい。お父さん!今日のわたしの演奏会、ぜったい遅刻しないでね」
「大丈夫、ちゃんとかあさんと行くから。がんばれよ!」

かち
きゅるるぼわぁんぉぉぉぉ・・・
こく
ふぉぉぉぉ・・・んぶおん!おぉぉぉ・・・・



「ウチの娘、最近ゆうに似てきたような・・・・」

夕凪の時代まで、あと40年。
ここ数年、世界的規模で、海面上昇による海岸線の後退が深刻な問題になってきている。

ぼくが住んでいた名古屋は、あと10年で海に沈むらしい。

コロニー移住計画が打ち出され、新らし物好きの裕福な金持ち達が、先陣を切って地球を脱出して行った。

今年中に第10号コロニーが完成し、さらに5万人の移民を募集するそうだ。

移住にかかる費用は、4人家族でおよそ2億6000万円。
移住先の土地、家屋も付いていることを考えれば、悪くない金額だ。

だが、コロニー建築用の資材運搬やシャトルの増産に手間が掛かるため、移住は遅々としてすすまない。
今ぼくが開発中のレプリケータの実用化が、この移住計画の最大のカギとなっている。

政府が民間に働きかけて始まった壮大なプロジェクトである移民計画。
ぼくは数年前に、デンソーでの実績を買われてここのレプリケータ開発部門に移ってきた。

レプリケータが実用化されれば、もっとたくさんの人を地球から遠ざけることができる。

早くしないと、手遅れになる。
人間は、今もその勢いを衰えさせることなく地球を壊しつづけている。

早くしないと、地球が死んでしまう。

親しかった友人たちは、ほとんどコロニーに移住してしまった。
でも、ぼくはここを離れるつもりはない。

20年前、ぼくがあの事故で気を失っていたのは、およそ15分。
その時に見た、1年にも及ぶ長い夢。


あと40年。
これから起こる
すべてのことを
ずっとここで
見届けていきたい


須軽谷の、いつものスタンドで給油してから、研究所に向かう。

今日は娘のリサイタル。
久しぶりにヨコハマまで走るので、
ガソリンを入れておかないとちょっと心配だ。

「ハイオク満タン入りました〜4835円になります」
「はい、じゃ、これで・・・おっと。あぶねえあぶねえ・・・」


あのとき
ゆうが落としていったピアス。

今でも財布に入れて
いつも大切に持ち歩いていることは

誰も知らない
ぼくだけの秘密。





(完)



【あとがき】

出張途中の霧の夜、事故で気を失ってから、救急隊員に救出されるまでの十数分に見た夢の正体は・・・?
とっても不思議な、それでいてちょっと切ない夢でした。

でも、本当にただの夢だったんでしょうか?

最後の最後に
シートの隙間から出てきた小さなピアス。
あの1年が、本当のできごとだったことを証明する
たった一つの小さな証。

60年後には
アルファさんや、スタンドのおじさんや、タカヒロや先生に会えるかも。
そして、ゆうにも・・・

ゆうが残していったピアスが
これからの「ぼく」の心の支えになっていくことでしょう。


一年間御愛読いただき、ありがとうございました!


〈おことわり〉
この物語はフィクションであり、作品中に出てくる企業名、個人名等は
実在のものとは関係ありません。
いや、少しはホントのことも、入っていますけどね・・・

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