あるサラリーマンの物語

第10章 「霧の日は・・・」


1.春雷一過

それにしても昨日の雷はすごかった。
まさに春雷。

そして今日は、それを打ち消すような快晴。
「うん、これならゆうのとこから車持ってこれるな・・・」



昨日の雨ですっかり汚れたアル坊を洗車して、
ひさしぶりにガレージの窓拭きと掃除。

こんな大掃除は、半年ぶりくらい?
なんとなく、きれいに片付けたくなったんだ。

出てきたゴミは、裏の空き地に置いてあるコンテナに分別してしまっておいた。
燃やせるものは燃し、生ゴミは埋める。
金属ゴミや大物のプラゴミは、前はジャンクヤードまでトラックで運んでいたけど
最近は洗浄だけしてしまってある。
レプリケータで再利用できることがわかったから。

汚れた水だけはどうしようもないので、砂利と木炭を重ねて詰め込んであるドラム缶に流し込む。
これ、実は自家製の浄水器。

ここでたまったタール状のヘドロは、あとでガス焼却炉にポイ。
一応環境には気を遣ってるつもりだ。

朝方まで降ってた雨で、路面がきらきらと日差しを反射している。
遠くの木々の緑は、昨日の雨で生き返ったように輝いている。

今日も暑くなりそうだ。


2.牽引車

涼しかった朝も、日が高くなると、それなりに暑くなってくる。
「そろそろ行こうかな?」

軽トラの荷台を外し、かわりに鉄パイプとウインチと台車で作った即席のレッカーを取り付けた。
フロントバンパーには、水の入るドラム缶を2個、しっかりと固定した。

水は車を牽引する時に入れる。
実はバランサーのかわりなのだ。
「アル坊がひっぱれたから大丈夫だろ?」
安全性と性能は、たぶんOK。

アル坊をガレージの端によせ、スペースを空けておく。
今日はギアの入りがいつもよりギクシャクする。エンジンの音もちょっと渋り気味。

実験台にされた上に、今日は出番のないアル坊は、ちょっと不機嫌のようだ。

かち
きゅるるるぱあん!ぽろぽろぽろ・・・・

まるでハイチューンエンジンのような乾いた音。
キャブ仕様だが、エンジンはセル一発でかかった。

800ccでターボ付き。しかも4駆。
そもそもこの軽トラ用に作られたエンジンではなさそうだ。
低速トルクもけっこうあるから、1トンくらい積んでも息が切れることはない。
町内会の人たちは、これにトレーラを付けて野菜を運んでたらしい。

そりゃ、こんなにパワーがあれば可能だよね・・・・
でも、あまり絵を思い浮かべたくないけど

一度だけ、見たことがある。
朝比奈峠を疾走する2両連結の軽トラ。
運転していたのは、この前の年越し町内会でいちばん盛り上がってた南町のおじさんだった。

「ふふふふふふふふふ」

ヘンな思い出し笑いは、ゆうの倉庫に着くまで尾をひいた。


3.運び出し

ぷあぁぁぁぁぁ・・・んきゅっ!、ぽろぽろぽろ・・・・

「たしかこの枝道だよな・・・?」



あった。
あの木は見覚えがあるぞ。

「そりゃ」

合図を出しながら、右折。
ぱあぁぁぁ・・んぷあん!ぷおぉぉぉぉ・・・・

この坂の先が、ゆうの家だ。

「あ、来た来た〜!なにその車〜!?」
「即席のレッカー車だよ♪」
「なんかマニアック・・・・」
「ほっとけ!(笑)」

「じゃ、車を外に出そうか?」
「キー持ってくるね」

ゆうがキーを取りに行ってる間に、損傷しそうなエアロパーツやマフラーを外して
車内に積み込む。

ゆうが戻ってきた。
「なーんか事故車みたいね」
「せっかくの車に傷つけたくないからね〜部品は外したほうが無難だよ」
「修理、わたしも手伝ったほうがいい?」
「うん、だいたいは一人でできるけど、ときどきおねがいすると思うよ〜」

フロント側のフレームをウインチで吊り上げて、キャリアに固定する。
トラックの傾きを見ながら、ドラム缶に水を入れる。
「んー、こんなもんかな?」
水が「タパタパ」しないように、落とし蓋で封をする。

「おっけー、準備完了だよ」
「じゃ、戸締まりしてくるね」

がららららら・・・かちゃん。
「じゃ、出発〜」

やはりエアロパーツとマフラーを外したのは正解だった。
このクーペ、意外に車重があってフロントを上げてるとリアが盛大にバンプするのだ。
リアまわりの部品を外してなかったら、傷だらけになってたかもしれない。


4.小休止

ぽろぽろぽろ・・・・・
注意深く、行きの倍くらい時間を掛けて、車を走らせる。

海沿いの国道を、40km/hくらいでゆっくりと流す。

「なーんか、こんなにのんびり走るの、ひさしぶりだよ〜」
「たまには、こういうのもいいよね♪」

今日も暑い。
エアコンなんか付いてないので、窓を全開にしてるのだが、
それでもうっすらと汗ばんでくる。

吹き込んでくる風はまだカラッとしてるけど、潮風はもう夏の匂いに変わりつつある。




秋谷のカーブ。
カーブミラーがキラリと光る。
カーブを曲がりきる直前、視界いっぱいに夏の海が広がる。
「うわー、すごいきれい!」
「きらきら光ってるね!」

一瞬の絶景を見たら、つぎの交差点を左折。
すぐに峠道に入ることになる。

「ねえ」
「ん?」
「ちょっと休んでいこうよ!」
「そうだね!」

路肩に車をよせて、ぼくとゆうは車をおりた。
行き交う車なんかぜんぜんいないから、どこに停めても迷惑はかからないだろう。

道路脇で裸足になって、海岸に降りる。

「あつ!」
「やけどしそう〜!」



まだ5月の終わりだというのに、ほとんど夏だ。
海の水もあたたかい。

波うちぎわまで歩いていくと、ようやく足元が熱くなくなってきた。

「砂の感じが、なんかきもちいいね」
「そうね〜」

「そりゃーっ!」
突然、思いっきり走りたくなった。

「なになに〜!?ちょっとー!」
ゆうも、おっかけてくる。

「おいついた♪」
「え!?」
いつのまにか、ゆうがとなりを走っている。
「足はやいんだね!」
「まあね♪」

湿って硬くなった砂浜を、裸足で走る。
全身で風を感じながら、2人でおもいっきり走る。

こんな感覚は、はじめてだ。

気が済むまで、走り回ったあと
海岸線のコンクリートに腰掛けて、小休止。
足をぶらぶらさせながら、海を眺める。
「きもちいいね!」
「ねー!」

遠くのほうに、船が見えた。

「おーい!」
2人で手を振ったら、むこうからも返事が来た。

あしもとの影が、短くなってきた。
もうすぐお昼。

「そろそろ行こっか?」
「うん♪」

砂を払って靴をはき、道路をわたる。

かち
ぷわん!ぽろぽろぽろ・・・・

「じゃ、出発〜」
ガレージまで、あとすこし。

左に入って、峠を抜ければ、もうすぐだ。


5.ピットイン

ガソリンスタンドをかすめて、T字路を左折。
今日はおじさんはお休みらしい。

いつもの畑を抜けると、ようやくガレージが見えてきた。

「はい、到着〜」
「やっと着いたね〜」
「かなりゆっくり走って来たからね」

ガレージの入り口にトラックをつけて、車を下ろす。
「じゃ、中に乗ってハンドル操作してくれる?」
「みずにーは何するの?」
「車を押す(笑)」
「おっけー」

エンジンが載ったままなので、ガレージの中との1cmくらいの段差がかなりつらい。

「せえのっ、そりゃ!」
助走をつけて、ようやく中に入れることができた。

「さて、と・・・」
今度はリフトで持ち上げるのだが、支柱をわたる段差はおよそ3cm。
「どうしたもんかな・・・・」
こいつはきついぞ。

「ねえ、これで持ち上げといて、浮いたところに何かはさめばいいんじゃない?」
「おぉ、それでいこう!」

ガレージジャッキで、段差よりちょっと高めにタイヤを浮かせ、そこにレンガをいれて、車を降ろす。
当然パーキングは引いたままだ。
車に乗りこみ、パーキングを下ろすと・・・・

かしゃん!・・・・んきゅ!
「よし!そこでOK〜!」

リフトの足をジャッキポイントに当てて、車を持ち上げる。
ちょうど全部の車輪が浮いたところでストップ。

「よし、そろそろお昼にしよっか!」
「なんか作るね」
「さんきゅー♪」


6.午後

お昼を食べて、ちょっと午後の日差しを楽しんでから、エンジンを下ろす作業にかかった。

ハーネスを外し、オイルを抜いて、ガスを抜く。
「みずにー、シブサンとニブのスパナある〜?」
「ほいさ!」
「ありがとー」かちゃかちゃ・・・

2人がかりだと、こういう作業は1人の時より3倍くらいはかどる。

「さて、このホースを外せば最後だな」
サクションホースを外しにかかる。ステンメッシュの、かなりごついホースだ。
恐らく耐圧は100キロ以上。

エアコンはフロンではなく、炭酸ガス冷媒仕様のものに積み替えてある。
ぼくのいた時代には炭酸ガス仕様はまだ試作品で、フロンのものより3倍以上も重かったけど、
これはほとんど同じ重さだ。
ただ、コンプレッサーはアルミではなく、繊維強化樹脂で作られているようだ。
よく見ると、デンソー製(笑)
しかも、なぜか試作品番。
たぶんモニター品を持ち出して、この車に付けたんだろう。
仕事柄、こういうとこを最初に見るくせがついてしまっている。

この車のエンジンのために作った専用の台車をさしこんでから、一旦車を下まで降ろし、エンジンマウントを外す。

ごんっ
にぶい音とともに、エンジンがシャシーからはずれた。
エンジンをゆすって、台車に載っていることを確認する。
「おっけー、じゃ、リフトをゆっくり上げてくれる?」
「どうやるの〜?」
「『上昇』っていう黒いボタンをちょいちょい、って押して〜」
「わかったー」

きゅるん、かちゃ。
きゅきゅん、かちゃ。
「おっけー、そのスピードでいいよ〜」

きゅん、かちゃ
きゅいいん、かちゃ

「そこでストップ〜」
「どうしたの?」
「うん、今のうちにエンジンを台車に完全固定するよ。あそこの工具棚の上にあるボルトもってきてくれる?」
「おっけー」

ぱたぱたぱた・・・
「これぜんぶ〜?」
「そうそう、8本あると思うけど全部ね〜」

トランスミッションとエンジンを、8本のボルトで固定。
「これでよし。じゃ、もうちょいあげようか?」
「おっけー」

きゅいん、かちゃ
きゅいいいん、かちゃ
きゅいぃぃぃ・・・かちゃんかちゃんかちゃん・・・

「はいそこでいいよ〜」
かちゃん!

「じゃ、ロックして休もうか?」
「このレバーね?」
「そうそう」


7.臨時休業

すっかり汚れた手と顔を洗って、テラスでちょっとひとやすみ。

「ねえみずにー、カフェアルファに行ってみない?」
「いいね♪」

ゆうと行くのは、これが2回目。
今まではいつも一人だったな・・・

いつもの道を通っていくと、みなれた一軒家が見えてきた。



「あれ?閉まってるよ」
「今日はお休みなのかな〜?」

スクーターは置いてない。
「出かけてるのかな?」
「あ、張り紙がしてあるよ」

『−しばらくお休みします−カフェ・アルファ』

「これ、アルファさんの字じゃないよね・・・?」
「もっと年寄りの人が書いたみたい」

子海石先生の字ではなさそう。
スタンドのおじさんの字にも見える。

ぱらぱらぱら・・・きいぃっ。

「へえよ!」
見慣れた軽トラが登場。乗っているのはスタンドのおじさんだ。

「おじさんこんにちは!・・・アルファさん、今日お休みみたいなんですよ」
「おぉ、実はな、アルファさん雷に打たれちまってよぉ、今先生んとこに居るんだわ」
「昨日の夕方の、あれですか?」
「おぉ。夕方にすげー大きなのが落ちただろ?あれ、アルファさんに落ちちまったんだよ」
「ええ〜っ!!・・・・」
そりゃ大きな雷だったけど、まさかアルファさんに落ちたなんて・・・・
無事なんだろうか?

「おじさんは?」
「ん、アルファさんに頼まれた荷物をちょっと取りに来たのさ」
「そうだったんですか・・・ところで、容態はどうなんですか?」

「ワシも見た時は心配したけどよ、明後日には退院するみたいだから、大丈夫なんじゃねえかな?」
「そうっすかー、よかった〜。たいしたことないんだ」
「うん、よかったわね〜」
「じゃ、アルファさんが良くなったらまた来ようよ」
「そうね〜」

ぼくとゆうは、ふたたび車に乗り込んだ。
「じゃおじさん、アルファさんによろしく言っといてくださいね〜」
「おう!じゃあな」

来週くらいに、もう一回きてみよう。
今日は家で、ロイヤルミルクティーでもいれることにしよう。


8.夜なべ

一番大変なシリンダーブロックの降ろしまでをゆうに手伝ってもらって、
そのあと夕飯を食べてから、倉庫まで彼女を送ってきた。
あとの作業は、一人でやることにした。

これからは、ゆうの都合のいい時だけ、ちょくちょく来てもらうことになる。

ガレージのシャッターを開け放していると、いろんな音が聞こえてくる。
すごく静かな日だと、船の汽笛や電車の音。
最近は近所の田んぼから、カエルの鳴き声がよくきこえるようになった。



ちょっとしめっぽい、涼しい風に乗って、
静かな夜には、いろんな音がやってくる。

最近、自分用のラジオを作った。
最初の頃は、カーステレオを外して使っていたけど、持ち歩けないのが難点。
だから、電池で動くスピーカ付きのものを作って、デスクに置いたり、テラスに持っていったり、
いろんな場所で音楽を聴いている。

この時間はいつもクラシック。
最近見つけた、お気に入りの放送局。

夜遅くまで、モーツァルトやシューベルトの弦楽を流している。
知ってる曲が流れ始めると、ついつい手が止まってしまう。

往年の名演奏シリーズ。
今夜は、93年のアルバンベルグ「死と乙女」だ。
ぼく自身、このカルテットの演奏は聴きに行ったことがある。
頭の芯をガン!と殴られたかと思うような鋭い縦の線。
その時、4人のテンションはきれいに一方向に揃っていた。

その演奏に憧れて、ぼくも何度か「死と乙女」を演奏したことがある。
およそ誉められた出来ではなかったけど。

夜遅くまで修理をするようになったころ、このチャンネルを見つけた。
食事はいつも深夜、ちょっと手を休めて、作り置きのおかずをぱぱっと食べる。
朝は畑仕事。昼からはずっとクーペの修理。

これじゃ、なかなか外に出かけられないなぁ・・・・

週に2・3回は、ゆうも様子を見に来てくれる。
いつも料理を多めに作ってもらうので、ゆうが来ない日でも、まともな食事ができて助かっている。

そう。
クーペの修理代は、「修理中の食事」として受け取ることにしている。
バランスのいい食事のおかげで、修復作業のほうは順調にすすんでいる。
エンジンの修復は、今週中に一通り終わりそうだ。

しばらくたって、遊びに来たタカヒロから、アルファさんが店を再開したことを教えてもらった。
最初のお客は、やはりスタンドのおじさんだったらしい。

ぼくもすぐ、アルファさんの全快を祝うために、ゆうとコーヒーを飲みに行った。
アルファさんは、以前と少しも変わることのない手つきで、コーヒーをいれてくれた。

いや、少しだけ変わったかも。
髪が、以前よりきれいになったように見える。

「聞いてみようかな・・・ま、いっか」
「?・・・みずさん、どうかしました?」
「ん?なんでもないよ」
「お二人とも、おかわり、いかがですか?」
「じゃ、今度はカフェオレで。ゆうも?」
「うん」
「じゃ、カフェオレ2つ、おねがいね〜」
「はい♪」

いつもと変わらない、カフェアルファとアルファさん。
ここでは、いつも同じ時間が流れている。

60年を一瞬で飛び越えたぼくの時計は、
この世界に来ても、
やはり以前と同じペースで
少しづつ時を刻んでいる。
でもアルファさんの時計は、永遠にここで止まりつづけているのだろうか?

ふと、永遠に立ち止まっているアルファさんを、気付かないうちにゆっくりと追い越していくぼく
というイメージが脳裏をよぎった。

もしふたたび、ぼくの時間を超える旅が始まったとき

アルファさんは、やはりここで
喫茶店をやってるのだろうか?

もしぼくが、ここからさらに60年後の世界に飛ばされた時、
昔と全然変わらないアルファさんがここに居て、
ぼくのことをはっきりと覚えてたとしたら・・・

何か、すごく切ないな。


9.夢

ときどき、変な夢を見るようになった。
疲れてる時よく見るたぐいの、脈絡のない夢だ。

ぼくは最近ちょっと疲れてる・・・・
修理に入れ込みすぎてるのかもしれない。

仕事のペース、落とした方がいいんだろうか?
でも、夏になる前に、このクーペの走る姿を見たいし・・・
早く走れるように仕上げて、この車でゆうとどこかにドライブに出かけたい。

脈絡のない夢ほど、的を得ていることが多いという。
覚えてる限りの内容は、およそこんな感じ。



車を運転していて霧に囲まれ、次の瞬間、車が狂ったようにスピンしている。
必死にブレーキを踏んでいるのに、車はスピンしながら側壁やガードレールに何度も何度も衝突する。
ぼくが大切に乗ってきたアル坊。衝突のたびにフェンダーは引き裂かれ、激しい衝撃が体を襲う。
鉄板がぶつかり合うイヤな音まで、妙にリアルに耳に残っている。

車が壊れていく。なす術もなく、僕の目の前で壊れていく。
まもなく恐怖に全身を支配された。
涙が止まらない。

アル坊が、ぼくの身代わりに、傷ついていく。
ぼくのせいだ。ぼくのもとに来たが為に、アル坊はその命をここで終えようとしている。
あと20年は、その性能を発揮しつづけることもできたはずなのに。

ぼくはただ、ステアリングを握り締めたままその光景に呆然としている。
いつ来るかわからない衝撃に備え、全身を硬直させたままだ。
ぼくは多分助かるだろう。
でもアル坊は、もう助からない。
きっと、二度ともとどおりには直せない。
それが一番悲しい。

最後の瞬間、予想外の方向から強い衝撃を受け、そこで夢から覚める。
全身に汗。
動悸が止まらない。

あわててガレージに行って、無事なアル坊の姿を確認しても、動悸はおさまらない。
こんな夢を見た夜は、もうそれ以上眠れない。

アル坊のコックピットにすわりこみ、ひざをかかえて、眠れない夜が明けるのをまつ。

少し、休んだほうがいいのかもしれない・・・・




10.雨季

梅雨がやってきた。

この季節はあまり好きじゃない。
アルファさんもそんなことを言っていた。
ついこの前、アルファさんは雷に打たれてひどいケガをした。
それ以来、雷の日は出歩かず、「見てるだけ」の日が多いとか。

ぼくも基本的に雨の日は苦手。
でも、この季節に降る雨が多いと、その年の野菜の出来はすごくいい。
だから梅雨の季節に雨が続くのは、まあしょうがないな、とも思っている。

でもひとつだけ、気になることがある。
雨のあとに、濃い霧が出ることが多いのだ。

ここでの暮らしが長いスタンドのおじさんの話では、
こんなことは今までになかったとか。

そういうわけで、この霧だけは、どうしても好きになれなかった。
雨あがりに、お決まりのようにこの霧が出ると、いやでもあの事故を思い出す。



ぼくはいつしか、霧の日が嫌いになっていた。
そんな日は、シャッターも開けずにじっとこもっている。
工房で修理の仕事はするが、出張は引き受けない。

町の人は、うすうす気づいている。
なぜ霧の出る日に、ぼくが外に出たがらないかを。
ゆうはまだ、気付いていない。

ゆうが今運転できる車は、あの電気自動車だけ。
和紙のボディでできた車は、雨の日には走れないから、ゆうは外に出歩けない。
梅雨入りしてからというもの、ゆうはぜんぜん来なくなった。

だから雨の日にぼくがどうしているかは、たぶん知らないはず。
それが、唯一の救いだ。
ゆうにはまだ、知られたくない。

ぼくが霧を怖がっていること、
ぼくが居た世界のこと、
そして、ゆうの祖父とぼくの関係。




11.先生と

ある霧の日に、子海石先生がガレージに来た。
「こんにちは」
「あれ?先生、珍しいですね、わざわざいらっしゃるなんて」
「アルファさんがね、あなたが全然お店に来ないから、何かあったんじゃないかって心配してたわよ。」
「いやぁ・・・最近、霧の出る日が続いてるんで、なかなか外に出られないんですよ」
「霧が出る日は外に出ないの?」
「ええ・・・まあ、そうです」

先生は、一息ついてから、言った。
「この霧に囲まれたらもとの時代に戻ってしまう、だから外に出るのが嫌なのね?」

霧に囲まれ、ここへたどり着いたおかげで、ぼくは充実した毎日を過ごしている。
そしてそんなぼくが唯一恐れていることは、もとの時代に戻ってしまうことだ。

最近よく出るあの霧は、ぼくをもとの時代に連れ戻そうとしている・・・
そう思うと、絶対に外へ出たくない。

先生は知っていた。ぼくが再び霧に遭遇するのを嫌がっていることを、そしてそのわけも・・・

ぼくが黙ってうつむいているのを、先生は温かい目で見ながら話しはじめた。
「今日はね、あなたに渡したいものがあってきたのよ。それがあれば
あなたは安心して外に出られるかもしれないわ」
「本当ですか!?それ、一体何ですか?」
「これよ」

先生が取り出したのは、ちょっと大きめのお守りのようなものだった。

「これは・・・何ですか?」
「極性イオン検出器・・とでも言えばいいのかしら?」
「極性イオン・・・じゃあの霧は、通研の実験のときに発生したやつと同じなんですか?」

「ええ。実はね、最近よく出るあの霧を分析してみたら、高レベルの極性イオンが含まれている時がごくまれにあったのよ」

「去年まではこんなことなかったんですよね?」
「ええ。今年になって突然なのよ」

「そしてこの装置は、その高レベルの極性イオンが検出できる・・・と」
「そういうこと。極性イオンが検出されないときは、外に出ても大丈夫でしょ?」
「ええ、たしかに・・・・これ、ホントにいただけるんですか?」
「ペンキ塗りのお礼の残りだと思ってくれればいいわよ」
「あ、ありがとうございます」
「よかったわ。ありあわせの部品で作ったものが役に立って」
「ありあわせの部品で作ったんですか?さすがですね」

昔アルファシリーズの開発をやってただけに、先生はこんな装置も朝飯前で作ってしまう。

「早速試してくれるかしら?高レベルの極性イオンを感知すると、ブルブルするからすぐわかるわよ。」
「今はブルブルしてないから、大丈夫なんですね。」
「ええ、そうね。」

これでちょっとは安心して外に出られる。しかしブルブルとは・・・まるで大昔のポケベルみたいだ。

「じゃ、早速出かけてきます。町の人たちの修理依頼を何件もためてたんで、みんなまちくたびれてるかも」
「あら、ここはどうするの?」
「どうせ中には何もないんで、このまま一日開けっ放しでも大丈夫ですよ」
「まあ、でもせめてシャッターくらいは閉めといたほうがいいんじゃないかしら?」
「そうですね。・・・先生、今日はいいものをありがとうございました♪」
「元気になって良かったわ。さっきまでのあなたは、すごく不景気な顔してたから」
「いやぁ、心配かけてすみませんでした」
「じゃ、また何かあったら今度はちゃんと相談してね。ゆうちゃんにも時々来るように行っておくわね」
「ちょっと、なんすかそれ〜」
「ほっほっほっ」

先生はバイクに乗ると、颯爽と去っていった。
霧のこと、ちゃんと気付いていたんだ・・・



「さて、出撃準備だぞ、と・・・」
工房を閉めて、出張修理に向かう。
「最初は乾物屋さんのトラックだったっけ・・・」
工具箱をトランクに入れて、車に乗る。
昼までには終わるだろう。夕方までに5件はいけるな・・・そうだ、帰りにアルファさんとこにも行こう。
心配かけたみたいだからなぁ・・・・


13.三重奏

夕方、本当に久しぶりにアルファさんの店に行った。
「やぁ、ごぶさた!」
「ありゃま、みずさん久しぶり!あら?きょうはひとりですか?」
「急に来てみたくなっちゃってね」
「今までどうしてたんですか?3週間も来ないなんて」
「いやぁ・・・ちょっといろいろあってね、なんかみんなに心配かけたみたいだね」
「おじさんも先生も心配してましたよ。病気じゃないかって」
それで先生が来たのか・・・
「悪いね心配かけちゃって。もう大丈夫だよ。今日はなんだか気分爽快さ!久しぶりに仕事を再開したらさぁ、・・・」

ぼくは嬉々として今日の出来事を話す。アルファさんは聞き上手だ。話してるこっちまで楽しくなってくる。
「・・・ってことがあってさ、面白かったよ〜今日は」
「うふふっ、それは笑っちゃいますね、ホントに。そうそう、この前タカヒロがね・・・」

アルファさんの話題は、ホントにいつ仕入れるのかってぐらい早くて正確だ。

コーヒーをおかわりしながらアルファさんと世間話。他にお客はなし。
会うのが久しぶりだから話は尽きない。

ぽろぽろぽろ・・・きいいっ。
ぱたん、ぱたん!

「あれ、おじさんのトラック、ドアの閉まる音が2回聞こえたよ」
「だれか一緒みたいですね」
しばらくして、おじさんがやってきた。ゆうも一緒だ。

「へえよ!みずさん、ゆうちゃん連れてきたぜ」
「あれ、今日うちに来てたの?」
「全然帰ってこないんだもー」
「わりいわりい、ためてた出張こなしてからここに来たら、長居しちゃってね(^^)」

「ゆうさんは、カフェオレで?」
「ええ、おねがいね〜」

おじさんは、用事があるからと言ってすぐ帰っていった。
「車はどうしたの?」
「ガレージに置いてきたわ。おじさんがちょうど通りかかったんで送ってもらったの」
「そっか〜」

「ちょっと何そのかお・・・みずにー最近疲れてない?」
「ちょっとね(^_^;」
「ちょっとどころじゃないでしょー!なんで眼の下にくまがあるのよ」

「え、みずさん仕事休んでたんじゃないんですか〜?」
「ずっとガレージでおじいさんの車、直してるのよ〜それも夜遅くまで、毎日」
「ありゃま、たまには休まないと、体に悪いですよ〜」

「早くあの車が走る姿をみたいからね、ついついがんばりすぎちゃうんだよな〜」
一度でいいから、ゆうをあの車に乗せて、じいさんがやってたように峠を走りたいんだよ・・・・

「そんなに急がなくてもいいのに〜」
「ま、そうなんだけどね」

あっというまに、閉店時間が近づいてきた。

「あ〜そろそろかえるよ。もう遅いし」
「そうですか?じゃ、またいらしてくださいね」
「さいなら〜」

ぼくとゆうは、車に向かった。
「あ、車がきれい♪」
「えへへ、かなり久しぶりに洗車したんだよ〜」
「ちゃんときれいにしてあげなきゃかわいそうだからね〜」
「そうだね〜」



トコトコと車を走らせ、ガレージに帰る。
かつて240km/hクルーズを難なくこなしたアル坊も、いまや立派なヨコハマの「住人」だ。
のんびり走る姿がさまになっている。
かつてのぼくなら、こんなに道が空いてたらスピードを限界まであげるところだが、
この時代に来てからは、スピードを出す必要がないので、ゆっくり走る。
急ぐ必要はない。
だって、今のぼくには急ぐ理由がないのだから・・・
たぶん。

ガレージに着いた。
「じゃ、暗いから気を付けて帰ってね」
「え〜送ってくれないの〜?」
「自分の車どうすんのさ」
「あ、そっか」
「じゃあね、おやすみ〜」
「おやすみ〜」

母屋に戻ったところで、急に眠くなってきた。
「今から夕飯作るのは、面倒だよな・・・」

そう思って台所に行ったら、一人分のおかずが作ってあった。
「ありがたい〜!」
さっと食べてシャワーを浴び、おやすみなさい・・・

明日はちょっと早起きして、もう一回車を洗ってから、ゆうを迎えに行こう。
仕事は休みにして、どこかにでかけてもいい。
朝が来るのが待ち遠しい。目がさえて眠れないかも・・・

でも、眠気のほうが強かったらしく、結局すぐ眠ってしまった。

(第10章おわり)

・この世界に来るきっかけとなった霧。しかし今度その霧に出会うと、もとの忙しい世界に戻ってしまうかも。
やっとのことで手に入れた安住の地。「ぼく」は、これからもずっとこの世界で過ごすことを望んでいます。
このまま何事もなく梅雨があけ、霧が晴れることを願っています。

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