アルピナ購入までの話



もともとぼくは速くて美しい車が好きでした。
スーパーカーブームのとき、ぼくはまだ幼稚園。
当時のお気に入りはディーノ246GTとBMW3.0CSL。最初に出かけた名古屋外車ショウで、
父にねだって78年のルマン24時間レースに出場中のBMW3.0CSLアートカーのB0パネルを
買ってもらったのが車趣味の始まりです。そのパネルは今もぼくの部屋に掛かっています。
当時のぼくには持ちきれない大きさのパネル。よく買ってくれたものだと思いますね。

しばらくして、スーパーカーブームも去り、やがてぼくの目は国産車に向いていきます。
当時の現行車で一番のお気に入りはFRのセリカターボにスカイラインRS。
絶版車ではトヨタ2000GTやスカイラインGT−R(KPGC10)、ホンダS800など。

中学に入って新しい友達も増え、ここで車仲間ができました。
久しぶりに行く外車ショウ。当時メルセデス190Eが発表され、その卓越したシャシ剛性には
驚くばかりでした。やがてぼくはユーザーのニーズを無視した「新技術」を満載した国産車には
興味を持たなくなっていきました。
この頃のお気に入りは、BMW635、メルセデス190E2.3−16、フェラーリ288GTO でした。

アルピナとの出会い
1985年のある日、目の前を加速して行く黒いBMW 。力強い、それでいて静かなサウンド。
それがアルピナという車であることを知ったのは、しばらく経ってからでした。
それ以来、ぼくの興味の一番の対象はアルピナB7ターボクーペ。
将来どうすればこの車に乗れるか、いつもそのことだけが気になっていました。
でも本当は、ルーフCTR なんかにも興味を持ってました。(あと国産のBNR32など)

↑B7ターボクーペ。写真は最終型のターボクーペ/2(アルピナブルーM)です。

大学に入って、運転免許を取得。親の車を借りながらも、アルピナのことは
忘れることはありませんでした。

1990年代後半に入り、ブガッティやXJ220などがちょっと気になったりしましたが、
現実的選択という観点から、やはりアルピナが一番という結論に達しました。

就職のときも、「某大手自動車メーカ(トヨタ)」と「某大手自動車部品メーカ(でんそ)」との選択を迫られたとき、
「某大手自動車メーカ」では、アルピナには乗れないと思ったので、確実にアルピナに乗れるという
理由だけで「某大手自動車部品メーカ」に行くことに決めたという経緯があります。

そして就職。やがて収入も安定し、ようやく自分の車を買う余裕が持てるようになりました。

この手にアルピナを・・・
1998年2月。ついに正規ディーラのユニクラオートさんに認定中古車をオーダーしました。
最初の注文は「アルピナB6−2.8/2、予算は350万円、色は赤、白以外なんでもOK 」でした。
なぜB7ターボクーペじゃないかというと・・・
1.B7ターボクーペは1989年に生産中止になっており、程度の良い物が出ない可能性大
2.初めて買う車にしては重荷。(メンテ・維持費など)
3.左ハンドルのマニュアル車に乗ったことがない(希少なB7をぶつけるかも(T_T))
4.E36ベースなら小さいから、最初のアルピナ車としては最適
というとこですね。

ところが物が出ない!
4月にはやや基準を変え、「E36かE34ベースのアルピナ車、予算450万円以内」と
少々枠を広げました。これにはB10ビターボも入ってきます。(これを結構期待していた)

しかしやはり物が出ない!!
※ホントに正規輸入のアルピナで、整備記録がちゃんと残ってるものは少ないんです。

1998年10月
ついにキレた!予算無制限!!
とにかく物を見つけて欲しい、値段は二の次で探してもらうことに。

1998年12月6日、留守電に伝言が・・・・
「B3-3.0/1、緑、サンルーフ付、2万km、580万円、但し現在東京で3件の商談中」
ついに出た!でも商談中って・・・?売れちゃうかもしれないってこと?
※不安が残ります。
ところがその直後、親から電話があり、なんと
親 「すぐお金払えるから車持ってきてって言っといたよ〜」
ぼく「えぇ〜ッ!!」

どうやらユニクラの担当さんが、僕が不在だったのでとりあえず留守電に情報入れてから
親に連絡取ったみたいで、親はその場で決めちゃったみたいです。
ちょっと待て、そんな大金誰が払うんだ〜(最初の予算の約2倍だよ!)
あ、貸してくれるの?3年で返せばいいのね。(う〜親に感謝!!!)

ユニクラの担当さんに再度連絡を取ったところ、すぐに他の商談を打ち切る手配をしたので、
9日には名古屋に陸送されてくるとのこと。
13年近く待ち望んだアルピナが僕の手元にくる日まであと3日。しかもその日はぼくの誕生日。
でもホントのこと言うと、大した感動はなかったんです。
仕事が辞めたくなるほど忙しく嫌だったし、8日の演奏会の準備もあったりで、僕は精神的にもう
限界に来ていましたので・・・
今にして思えば、アルピナが来ることで崩壊寸前のぼくは正気に戻れたのかもしれません。
ここでこの出物を逃していたら、ぼくは完全に壊れたかもしれないです。

12月8日、演奏会が終わり、打ち上げまで4時間ひまになったので、一度家に帰ることに。
だめもとでユニクラの担当さんに「車ひょっとして来てませんか?」とTEL。
明日着予定と言うのは知ってたけど、念のため。
すると、「来てますよ。今見に来ますか?」
!!!「すぐ行きます!」
しばらくして同じ演奏会に出たMikami氏とUta氏より電話が。
Mikamiさ「打ち上げ会場まで、車出すけど乗ります?」
みずにー「だったらいいもの見れるよ。ディーラのほうに迎えに来てよ」
彼らはぼくがアルピナを注文していたことを知っているから、すぐピンと来た様子。
誕生日より1日早かったけど、ぼくにとっては最高の日。
ぼくとMikami氏とUta氏、3人で「ほえ〜」と車を見る。ちょっとうれしい冬の夕暮れ。
緑色のアル坊は、どことなく落ち着かない表情。
「これから僕のところで暮らすことになるんだよ。よろしくね」
ぼくは心の中でそう語りかけると、所在なさそうだったロービームのレンズが、
一瞬、明るくなったような気がしました。

↑これは後日、契約した日に撮った写真です。まだFスポに傷はついてません(笑)。
なぜか横浜ナンバーが付いてました。あとでその理由もわかるんですけどね。

緑色のB3-3.0/1。シャシナンバー355番。
B3−3.0の全生産台数358台の最終ロット。
諸手続きを済ませ、新しいライセンスプレートを付けたアル坊が、
新しいオーナーであるぼくのもとに来たのは、12月24日。
これからぼくのために走ってくれる大切なパートナー。
誕生日の前日に初めてその姿を見せ、
クリスマスイブに僕のもとにやってきたアル坊。
偶然だろうけど、なんか意味ありげなところがにくい。
ぼくは前のオーナーのように、途中で手放すことは決してしないよ。
だから最後まで、ぼくのもとで全開で走りつづけて欲しい。
10年後も、20年後も、そしてその寿命尽きる最後の瞬間まで・・・


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