IAA2001(FRANKFURT MOTOR SHOW 2001)
滞在6日目(特別招待日)〜最終日(一般公開初日):Trade
Days, Opening (2001/09/13〜15)
プレスデーが終わり、いよいよ特別招待日が始まりました。
これは、ディーラがオーナーさんを招待して新車を売りこんだり、部品メーカが本格的に商談を行なう日にあたるため、
Trade Daysとよばれています。
ぼくは滞在6日目。どこに何が展示してあるか、近道や裏道、チップおばさんが居ないトイレの場所とか、
もう見事に会場の隅々まで把握しちゃってます。
デンソーブースを中継基地にして、あっちへ行ってはカタログやプレスキットをもらい、持ちきれなくなったらデンソーブースに戻って
荷物を置いて、紅茶とケーキを出してもらって(お姉さんたちに紅茶飲みの日本人としてすっかり顔を覚えられた(^^)
一休みしたらまた出撃、という感じです。
デジカメのメモリがいっぱいになったらブースにおいてあるぼくのPCにデータを落として、バッテリも交換して・・・
2時間おきに休憩を繰り返しながら、一日中歩きっぱなし。
なにせ、一日あたり500枚くらい写真撮ってますからね。
全部HGモード(一枚400kBくらい)だし。
最終日に容量見たら1.2GBもありました。
さて、米国同時多発テロの犠牲者のみなさんに追悼の意を表するため、
10時と12時に、全員手を休め(Stop
workingね)、黙祷をささげるよう指示がありました。
これは、モーターショウ会場全体で行なうとのこと。
ぼくはこの日、メルセデスのブースで、10時を迎えました。
ターンテーブルが止まり、ビデオが止まり・・・
やがて、サイレンが鳴りました。
ざわざわざわ・・・・しーん・・・・・・・・・・・
さっきまでの喧騒が嘘のように、
空調の送風音以外、何も聞こえません。
ドーム型のホールをブチ抜いて作られたメルセデスのブースには、少なくとも400人以上の人が居るはず。
でも、人の声や息遣いは全く聞こえません。
たまに、携帯の着信音が鳴るのはどの国でも同じようですが。
不思議な時間でした。
遠い異国の犠牲者に対する真摯な気持ちでの祈り。
少しでも多くの人が無事でありますように。
この数百人の思いを一つにした祈りが、救助を待つ人や、救助活動を続けている人のエネルギーになってほしい。
ぼくは5分間の黙祷に、そういう気持ちをこめて祈りました。
ホールをつなぐコンコースでは、記帳もやってました。
何かしないと気が済まない、という気持ちでいっぱいなのでしょう。
寄付を求めるわけでもない、ただ名前を書くだけの記帳に、すごく長い列ができていました。
|
|
FerrariのF1です |
SLクラスです。レザーの椅子はともかく、 |
|
|
ランボルギーニの新しい12気筒 |
本田S2000 |
|
|
最終日にお世話になった皆さんと。 |
ぼくが日本から持ち込んだ |
|
|
途中からホリデイインに引越ししました。 |
窓の外には、フランクフルトの不思議な建築物が |
|
|
目の前が運河です |
市街地まではこんなけ離れてます。 ここ、オッフェンバッハなんですよ。 |
|
|
同じくホテルのベランダから。いい風景だと思いませんか? |
通勤列車が通過していきます |
|
|
地震で倒れないか心配です |
こっちは本物のICEです〜 |
|
|
最終日、2時間だけ観光できました。 |
有名なゲーテ像。 |
|
|
ふらふら歩きながら、三越へ向かいます。 |
三越の近くでみつけたドールハウスです。 |
9月15日から、一般公開が始まりました
もう、大変な込みようです。
思った方向に進めないんですよ。何か掏られてもわかんないくらいの人手です。
現地で意気投合した本社から来ていたO塚君と、ポルシェのショップに行き
彼のほしがっていたアーミーナイフ?とマグカップを買うお手伝いをしてから、
服部さんと3人で会場を出て市内観光に向かいました。
4時間くらいの市内観光(7日も滞在してたのに寂しい・・・)の後、デンソーブースに戻って
お別れとお礼の挨拶をしてから空港に向かい、帰国しました。
ミニカーとか、安かったです。
Helpaの1/87は500円くらいからありましたからね。
アルピナのミニカーは高かったです。
これ、たぶん1/48ですが、1台280DM(15000円くらい)しました。
一瞬で買っちゃったところが何か・・・ね。しかも会社のカードで(ぉぃぉぃぉぃ!
帰国後(9/18)へ